PRECURE SQUARE solo>#02Bパート 
S-6,S-7,S-8,S-9,S-10,S-11,S-12, S-13,S-14,

Scene6◆抱擁

「ひとまず、行ける場所は全部行ってみましょう。何か見落としがあるかもしれません。」
「そうね……、確かに、パーティーに仲間が増えれば、新たな道が開けるかも……。」
「……先生もしかして、RPGとかやり込んでいたりします?」
「はうっ………。ぽ、ぽっぷちゃんの前では、うかつな発言が命取りになりそうね。」
「え……え〜っと?(^^;」

 ぽっぷとひなこ先生は、音楽室のロッカーにしまってあるホウキを取り出し『装備』する。怪物が相手では気休めにもならないし、普通の掃除用ホウキなので空も飛べないが、それでも無いよりはましだ。それに、泡が相手なら役立つ事もあるかもしれない。
 こうしてダンジョン探索が始まった。二人のレベルは最弱。対して怪物はラスボス並。レベル1で敵地に潜入するくらい無茶である。せめてもの救いは、雑魚キャラが現れない事くらいだろうか?

 まずは2階の教室を1つ1つチェックしていく。泡を塗り忘れている窓は無いか? 何か役立つアイテムは落ちてないか? しかし成果は無かった。
 ぽっぷは次の階へ下りようとするが、何故かひなこ先生が付いてこない。最後に入った教室から出ようとしないのだ。何事かと思い引き返すと、ひなこ先生は教室のほぼ真ん中にある机の上に出された教科書やノートを見つめていた。そういえば、ここはひなこ先生と再会した教室である。ひなこ先生が見つめる机には、補習で残った生徒が座っていたのだ。
 ぽっぷはひなこ先生の思いを察した。きっと補習の生徒は、ひなこ先生が残るよう命じたのだ。それを今、先生は心の底から悔いている。自分のせいだと責めているのだ。もしかしたら、今なら別行動をとるチャンスだったかもしれない。しかし、ぽっぷにはそれができなかった。ひなこ先生の側に寄ると、そっと手を握る。

「先生、行こう。今は悔やんでもどうにもならないよ。」
「……そうね。ぽっぷちゃんの言う通りだわ。」

 二人は1階に下りた。ダンジョンと同じで、最下層は最も危険である。何しろ、怪物が潜んでいるのだから。音を立てないよう細心の注意を払いながら、1つずつチェックしていく。
 保健室の前に来た。戸は閉ざされていたが、泡の封印は無い。侵入可能だ。だが、ひなこ先生は不思議な顔をする。

「あら? ヘンね。確か保健室の扉には泡が付いていたはずなのに……。記憶違いかな…。」
「もしかしたら、ワナかもしれません。用心しましょう。」

 ぽっぷは保健室の戸をそっと開ける。部屋の中は照明が消されており、薄暗い。夕方で、日も落ちてきたのでなおさらだ。それにしても、何故証明は落とされているのだろう? ぽっぷは違和感を感じた。
 これまで探索した教室には2通りの特徴があった。照明を付けたままの教室と、照明が消された教室だ。
 照明が付いた教室は、人が利用していた教室だ。怪物に襲われ、消す人が誰もいなくなったので、付けっぱなしになったのだ。つまり照明が消された教室は、怪物が現れた時、人がいなかったことになる。では、保健室はどうであろう? 怪物が現れた時、利用されていたのか? いなかったのか?
 放課後には運動部が部活をしている。練習中に怪我するかもしれない。そんな時のために、保険医が待機しているはずだ。ならば何故電気が消されているのか? やはり罠だろうか? だとしても、調べないわけにも行かない。ぽっぷ達には、選択肢があまり残されていないのだから……。
 保健室を見つめながらぽっぷは思った。ああ、ゆき先生が今でも美空小で保険医をしていれば、この危機も回避してくれたかもしれないのにナ……。

 ゆき先生はぽっぷのお姉ちゃん達が卒業して間もなく、保険医を退職した。家庭の事情で実家に戻ることになったと言うのが、表向きの理由である。嘘ではないのだけれど……。ぽっぷはそれ以来、ゆき先生にも、ゆき先生の本当の姿にも、会ってはいない。今はどこで何をしているのだろう? もし会えるなら、どうしても言いたい事があるのだけれど……。

 無い物ねだりはやめよう。今ここには、ぽっぷとひなこ先生しかいないのだから。ちなみにこの場合、身動きの取れないゼピュロスはカウントしていない。
 ぽっぷはしゃがむと床を見る。保健室の床は、奇麗に磨かれていて、ゴミ1つ見当たらなかった。問題はなさそうだ。
 立ち上がると照明のスイッチを見る。ここにも泡は付いていない。部屋が暗いと照明を付けようとしてしまう、人間の行動心理を利用した罠ではないかと疑ったのだが、どうも違うようだ。ぽっぷの考え過ぎだったのだろうか?
 ぽっぷは1歩足を踏み入れると、スイッチに手を伸ばし、オンに切り替える。保健室に明かりが灯り、部屋全体が見渡せるようになった。ひなこ先生は、ぽっぷの背中越しに保健室を見渡す。

「どこにも……泡は無さそうね。」

 ホッと胸を撫で下ろす先生。確かに彼女の視界には、どこにも泡は見当たらなかった。
 だが、天井を見上げたぽっぷは戦慄していた。巨大なシャボン玉が、天井を覆い尽くすように張り付いていたのだ!!

 ぽっぷは状況を分析しようと試みる。
 巨大なシャボン玉は自らの重みに耐えきれず、空気の動きに反応してユラユラと揺れている。恐らく、ぽっぷが戸を開け、保健室に1歩足を踏み入れた事で、一気に不安定になったのだろう。つまり、地雷原に踏み込んでしまったようだ。
 ぽっぷはすぐ後ろにいるひなこ先生に危険を訴えようと、声を出す。

「…に」

 逃げてと訴えたかったぽっぷだが、続きが声に出せなかった。声を出した途端、天井のシャボンが揺れたのだ。これでは喋るどころか、保健室から退く事もできない。ぽっぷは怪物の仕掛けたブービートラップに、まんまと引っかかってしまったのだ。

「どうしたの? ぽっぷちゃん。」

 ひなこ先生の声では、天井のシャボンはあまり揺れなかった。声の高低も関係しているのかもしれないが、ひなこ先生が保健室の外から話しかけているため、影響が少ないのだろう。
 ぽっぷはもうダメだ。身動きが取れない。しかし、ひなこ先生は助かる。戸から離れれば、壁が邪魔をして、シャボン玉が割れても被害は受けないはずだ。

(ひなこ先生! 逃げて! 早く!)

 しかし、ぽっぷの願いは叶わなかった。

「そ…そんな、こんな事って……。」

 ぽっぷは背中で感じた。ひなこ先生の後ずさりを。天井のシャボンに気付いたのだ。

(そう! そのまま逃げて! 扉から離れれば、先生は助かるわ! 二人とも犠牲になる必要なんて無いんだもの)

 だが、ひなこ先生は逃げなかった。むしろ、ぽっぷの背中に近寄ったのだ。そしてぽっぷに話しかけた。別れを惜しむかのように。

「ねえ、ぽっぷちゃん。覚えているかな。あなたが1年生の時、図画の時間に、きみたか君が、かずひろ君の描いた絵にラクガキをして、なかせた事があったよね。あの時、先生は、きみたか君を叱る事までしか考えられなかったのだけど、ぽっぷちゃんは機転を利かせて、かずひろ君をフォローしてくれたよね。
 うずまきのラクガキに手を加えて、太陽にしてしまうなんて……。凄い才能だと思ったわ。他にも色々あったね……。」

(先生……何を言ってるの? お別れなんていいから、早く逃げて! 早くしないとシャボン玉が………。私を助けようとしても無理だよ! 下手したら共倒れになっちゃう!)

 ひなこ先生はそっと両腕をぽっぷの身体に絡ませると、ぎゅっと抱きしめ、そっと耳元にささやいた。

「私はダメ。もう限界。私のチカラでは誰も救えない。でも、ぽっぷちゃんなら大丈夫。きっと、きっと、みんなを助けられるわ。あなた独りに重荷を背負わせたくはなかったけれど……。後の事、みんなの事、お願いね。」

(何をする気なの? まさか!? やめて!! 先生やめて!!)

 ぽっぷは声無き声で悲鳴を上げ、ささやかな抵抗を試みるが、無駄だった。ひなこ先生は力を込め、抱きしめたぽっぷを思いっきり引っ張りながら、くるりと回転した。そして背中が保健室に向いた状態で静止する。
 パフッと巨大な何かがはじける音。そして、ひとときの沈黙……。
 やがて、ぽっぷを抱きしめていた両腕は力を失い、背中に感じていたひなこ先生の温もりが消えた。ぽっぷが掴もうとした両腕は、ぽっぷの手をすり抜けていった。背後からドサッという音が聞こえ、新たな静寂が訪れた……。
 ひなこ先生の決断は、自らぽっぷの盾となることだった。シャボンの毒液を背中で全て受け止め、ぽっぷを守ったのだ。

(ひなこ先生!!)

 保健室に倒れたひなこ先生を見たぽっぷは、思いっきり叫んだはずなのに、何故か声にならなかった。パニックを起こしかけたぽっぷは、混乱するあまり、声の出し方を忘れてしまったのだ。

「早く! 早く合体するピュ!! 早くしないとヤツが!! 『ヒュドラ』がやってくるピュ。」

 突然、バッグの中からゼピュロスが叫んだ。ぽっぷとの約束を守り、これまでボストンバッグの中で、ずっと沈黙していたのだ。だが、ひなこ先生が倒れた今、ぬいぐるみのフリをする必要など無い。ゼピュロスは堰を切ったようにまくしたてた。
 校舎が小刻みに揺れ始め、次第に大きくなっていく。何かが、巨大な何かが近付いてきたのだ。
 やがて、廊下の角から怪物は現れた!!
 それは確かに巨大な白ヘビだった。目は燃えるように赤く、ウロコは乳白色。だが、異様なのは色でも大きさでもない。ヘビの頭が体中のあちこちから生えている事だった。

「あれが……ヒュドラ……。」

 日本にも八岐大蛇のように、複数の頭を持った怪物の伝承はある。イメージ上の姿では首の大きさや形は均等に整っており、人によっては美しさすら感じるかもしれない。
 だが、目の前にいる白い八岐大蛇は違っていた。本体と思われる首のまわりに、大小さまざまなヘビの頭が生えているのである。上半身だけではない。下半身やしっぽの先からも小さな首が生えている。まるで切り取ったヘビの首を大蛇の体中に縫い付けているかのようだ。生命を冒涜するかのようなその姿に、ぽっぷは生理的嫌悪感を覚えた。

「クロリス、早く!! 早く合体するピュ!! このままではオマエを守りきれないピュ!!」

 ゼピュロスの悲鳴にも似た叫び声で、ぽっぷは我に帰る。
 ひなこ先生はぽっぷをかばい、力尽きた。ゼピュロスがヒュドラと呼ぶ白ヘビの怪物は、どんどん迫って来る。もはや迷う時ではない。ぽっぷは両手を大きく広げ、叫んだ。

「プリキュア、コンバイ〜ン!!」

 胸に翼のエンブレムが現れ、ぽっぷは風に包まれる。
 ぽっぷに迫った怪物は、口から毒シャボンを吐くが、ぽっぷを包む風にはじかれ、床や壁にぶつかり、次々と割れていった。やがて風の中から、赤いコスチュームに身を包んだ異形の少女が現れる。その瞳は決意に溢れていた。

「天駆ける、一輪の花嫁がひとり。
     遥かなる天空(ウラノス)の女神、キュアクロリス!」

 怪物を、ヒュドラを倒す! そして美空小の後輩達や、ひなこ先生を絶対に助ける!
 それは迷いを断ち切った、ぽっぷの決意の名乗りだった。


Scene7◆胸騒ぎ

 その頃、春風邸では………。不安そうに電話を握る、母の姿があった。

「……もしもし、ぽっぷ? お母さんだけど、いつ頃帰ってくるの? 晩ご飯の支度の都合があるから、留守電を聞いたらお家に電話ちょうだい。」

 ぽっぷの母、春風はるか。この1時間のうちに彼女がケータイに電話したのは、これで5回目である。しかし、いずれもぽっぷには連絡がつかず、留守番電話サービスに伝言を残すばかりであった。
 いつものはるかは、そこまで心配性ではない。だが、この時だけは違っていた。妙な胸騒ぎを覚えていたのだ。このタイミングでぽっぷと連絡がつかないのだから、不安は大きくなる一方だった。そんなはるかを居間から眺めていたのは、ぽっぷの父、春風渓介である。先ほどようやく仕事が終わり、目を覚まそうと濃いめのコーヒーを飲んでいた所だった。

「少しくらい遅くなったからって、心配のし過ぎじゃないのか? 物騒になってきたと言っても美空町はまだまだ安全だし。」
「私が心配しているのは、あの子が私たちの娘だって事よ!」
「……と言うと、あっちの心配か……。どれみがMAHO堂で手伝いを始めると言い出した時以来だな。事態は深刻なのか?」

 寝ぼけ眼だった渓介の目に、不安が宿る。

「まだはっきりとはわからないけど……。でも、出かける時からぽっぷの様子おかしかったのよ。テスト期間中の大事な時だって言うのに、曖昧な理由で外出するなんて……。それにピアノの演奏もなんだか変だったし……。きっと何かに巻き込まれたんだわ。」
「もしくは……自ら進んで関わったか…だな。全く誰に似たのやら。無茶をするところなんか、学生時代の君そっくりだよな。」
「まあ! 何言ってるのよ。あなたこそ、不幸な女の人を見かけると放っておけなくて、いつも親身になっていたわよね〜。そのおかげで、あなたとの若い頃の想い出って、嫉妬した記憶しか残ってないわよ。」
「いや、オレは別に女の子だけ特別親身になってたわけじゃないぞ。なんでそんなに偏ってるんだよ。………ああ、なんだ、そう言う事か。あの頃からオレのそう言うところしか見えてなかったんだな。あの頃の君がツンデレだった理由がようやくわかったよ。」
「……知りません!」

 顔を赤らめるはるかに、渓介はいぢわるな笑みをこぼすが、すぐに真面目な顔に戻る。

「どれみにせよ、ぽっぷにせよ、オレたちの娘だし……。なにしろ飛騨春風家、美空春風家、両家の血筋を引いた『生粋のおせっかいヤキ』だもんな。むしろ無茶をしない方がおかしいよ。
 だけど、それはオレたちが結婚した時からわかっていた事じゃないか。どれみが生まれるまでの間、十二分に話し合って決めただろ? 子供達に相談されない限り、子供達の悩みには関わるまいって。暖かく見守ろうって。」
「……それは、そうなんだけど……。」
「オレたちは、子供達を信じて、見守っていようぜ?」
「わかったわよぉ……。」

 はるかは膨れっ面になりながらも、大人しく台所へと戻り、夕食の下ごしらえを始めた。そんな愛妻の姿を見て安心した渓介は、コーヒーを一気に飲み干すと、抜き足差し足忍び足で、玄関へと向かうのであった。

「ゴルァ〜〜〜〜!!!
 さっき偉そうに『見守ろう』って、言ったばかりでしょ!! 言ってる側から何やってんのよ!!」
「見守るだけだよ! 見守るだけ!! 遠目に見てる分には問題ないだろっ(^^;」
「そう言うのも含めて全部ダメ!! そもそもあなた、ぽっぷと3人で夕食食べたくて眠るの我慢してるんでしょ? 行き違いになったら迷惑だから、家にいなさい!!」
「イテテテ!! わかった! わかったから、耳を引っ張るなぁ!!」

 ぽっぷの父、渓介は、こと娘に限っては日常的に、人並みはずれた心配性を煩っていたのであった。


Scene8◆思わぬ弊害

 ぽっぷが前へ一歩踏み出そうとした時、キュアクロリスに異変が起きた。踏み出した足はむなしく空を蹴り、姿勢を崩したキュアクロリスは転びそうになるが、何故か転ばない。ヒュドラは後ずさりを始め、どんどん離れていく。
 ヘビが後ずさり? 違う! 後ずさりをしているのはこの身体だ。キュアクロリスの身体が宙を浮き、ぽっぷを無視して後退しているのだ。クロリスが目覚めた? いや、ぽっぷは意識を失ってはいない。クロリス以外の者の仕業だ。

「ちょっ、ちょっとゼピュロス! これから闘おうって時に、勝手に後退しないで!!」
「クロリス心配する事無いピュよ! オマエの事は、どんな手を使ってでも必ず守ってやるピュ!」
「ヒュドラとは十分間合いを取ってるよ! ちょっと止まって!」
「外に連絡して助けを呼べと、あの女先生も言ってたピュ!」
「それは私がただの人間だったらって話でしょ!! プリキュアが闘いもしないで逃げるなんて……」

 逃げる?

 ぽっぷは気付いた。これは後退なんかじゃない。逃亡だ。ゼピュロスは、クロリスを守るため、美空小のみんなを見捨て、全力で敵前逃亡を始めたのだ。これがゼピュロスの愛のカタチ。『どんな手を使ってでも』の真意。卑怯者、臆病者とそしりを受けようとも、愛する妻を守るためなら全てを棄て、貫く決意と覚悟なのだ。
 だがその愛は、ぽっぷには到底受け入れられるものではなかった。

「やめて! やめてよゼピュロス!!」
「オマエはオレが必ず守るピュ!!」

 ゼピュロスに聞く耳など無い。こうと決めたらとことん貫くタイプのようだ。
 ぽっぷは主導権を握るキュアクロリスの両手両足を動かし、廊下のどこかに引っ掛けようとするが、たまたま窓枠に引っかかっても、簡単に壊れたり外れてしまう。ゼピュロスが主導権を握る翼のチカラが強く、太刀打ちできないのだ。

 キュアクロリスの身体が階段を上がり始めた。このまま一気に屋上へ向かい、大空へと逃げ出すつもりだ。もはや時間が無い。空へと飛び立たれれば、ゼピュロスに抵抗する手段を失ってしまうのだ。
 説得もダメ。抵抗も無意味。ならば、最後の手段に訴えるしかない。屋上に飛び出した瞬間が最初で最後のチャンスだ。
 一瞬、お母さんの笑顔が脳裏をよぎる。

(お母さん、ピアノが弾けなくなったらごめんね………。)
「うわっ! 何をするピュ!! クロリスやめるピュ!!」

 ぽっぷは胸のエンブレムを外した。それはキュアクロリスが大空へ飛び上がった瞬間だった。
 途端にキュアクロリスは、ぽっぷの姿へと戻り、左肩に担いでいたボストンバッグも、担いだ状態で復活した。ぽっぷはボストンバッグをクッション代わりにして落下時の衝撃に備える。ドスンと鈍い音。しかし、それだけでスピードを殺す事はできない。ぽっぷの幼い身体は、屋上をゴロゴロと何度も転がり、壁にぶつかってようやく止まった。

「うわああああああ!!! クロリスゥゥゥウ!!!
 なんて…なんて事をするピュか! しっかりするピュ!!」

 エンブレムからペンタローの姿へと戻ったゼピュロスは、あわててぽっぷのもとへと駆け寄る。だが、ぬいぐるみ姿のゼピュロスに、できる事は限られていた。せいぜい声を掛ける事と、オロオロするくらいである。

「クロリス!! 目を開けるピュ!!」
「……大丈夫だよ、ゼピュロス。……そんなに、さけばないで。」

 ゼピュロスの呼びかけに、ぽっぷは意識を取り戻した。

(大丈夫、私は大丈夫。)

 自分にそう言い聞かせながら、ぽっぷは身体に異常がないか調べる。

 まずは頭……受け身ができていたみたいで、どこも痛まない。大丈夫。
 次に胴体……背中が痛むが、大した事は無い。大丈夫。
 両手……指は何ら問題なく動く。ピアニストへの夢は諦めずに済みそうだ。大丈夫。
 両足……裸足なので冷たいが、問題なく立てるし、足踏みもできる。大丈夫。

 突然右ヒジに痛みが走る。見ると落下時に床ですりむいたらしく、出血していた。したたる血は指先まで伝わり、ポタポタと床に落ちていく。ぽっぷは服に血が付かないよう気をつけながら、ポケットからハンカチを出す。傷口を押さえると、ハンカチにじわじわと血がにじんできた。痛い…、痛いよ……。でも、痛くても大丈夫……。涙目のぽっぷは自分に言い聞かせる。大した怪我じゃない。こうしていれば血は止まる。大丈夫。きっと大丈夫。私は大丈夫……。

「クロリス! 合体を解くときは、ちゃんと安全を確認してからと言ったのに、なんて無茶をするピュか! 神であるオレたちは不死でも『寄り代』の命には限りがあるピュよ! もし『寄り代』の身に何かあったら、オマエはこの世界にいられなくなってしまうピュ! オマエがいなくなったらオレはっ……、オレはっ……。」

 翼を羽ばたかせ、ぽっぷの視線まで浮遊しながら、ゼピュロスは怒鳴る。右ヒジを押さえながら黙って聞いていたぽっぷだったが、痛みのせいで苛立ちが増していき、ついに怒りが爆発する。
 ぽっぷは両手でゼピュロスを掴むと、感情の赴くままに怒鳴った!

「誰のせいで、したくもない怪我をしたと思っているのよっ!! あんたが逃げ出したからでしょ!! だれが…だれが好き好んで無茶なんか!!
 ゼピュロス……あなた、何も判ってないよ。あなたさっき私に言ったよね。『オマエの笑顔を守る』って。その言葉がどれだけ重いか、まるで判ってない。
 私の笑顔を守るには、私の家族や友達……ううん、それだけじゃない。みんなを含めたこの世界を守らなくちゃ行けないの! 最低でも、美空町くらいは平和でなくちゃ、私、笑顔でいられない! 私だけ守っても意味が無いの!!」

 そんな怒れるぽっぷに、ゼピュロスは涙目で応えた。

「だけど……、だけど……、ヒュドラは恐ろしい怪物だピュ。ヤツの猛毒と再生能力は、常軌を逸しているピュ。あの英雄ヘラクレスすら独りで倒せなかったピュ。
 
非力なオレでは、ヤツは倒せないんだピュ〜〜〜!!!」

 ぽっぷは絶句した。
 プリキュアになっても倒せない? じゃあ、何のためのプリキュアなの?
 ……確かにそれが事実なら、ゼピュロスには逃げ出す以外に選択肢は無かったろう。ぽっぷの怒りは筋違いだったのかもしれない。ぽっぷはゼピュロスを掴んでいた両手の力を緩めると。膝に乗せ、優しく頭をなでた。
 だけど、それならどうすれば良いのか? 誰かに助けを求めれば、何とかなるのだろうか? ゼピュロスが落ち着いたところで、ぽっぷは話を切り出す。

「ねえ、ゼピュロス。私に無茶をさせたくなかったら、本当の事を教えて。人間のチカラでヒュドラを倒せると思う?」
「………今の下界に、英雄ヘラクレスのような超人はいるピュか?」
「よくわからないけど……多分、いないと思う。」
「だったら、非力を補うだけの強力な武器はあるピュか?」
「それならあるよ。……例えば、警察だったら、おまわりさんが鉄砲を持ってるよ。鉄砲ってわかる? 鉛玉を火薬で打ち出すの。」
「弓矢と同じ『点の攻撃』ピュか……。それではどんなに威力があっても無理ピュね。ただでさえ凶悪なのに、ヒュドラには異常な再生能力があるピュ。安易な攻撃はヤツを怒らせるだけだピュ。
 『点の攻撃』でヒュドラを倒すなら、『寄り代』への直接攻撃しか無いピュが……。オマエがあの女先生と話をしていた時に気付いたように、『寄り代』がお守り程度の大きさだとしたら、あの巨体のどこに『寄り代』があるかなんて、見た目じゃさっぱりわからんピュ。
 物量で責め立てれば、運良く当たるかもしれないピュが、そこに至るには、戦士達のおびただしい数の犠牲が出るピュね。」
「……じゃあ、どうすればいいの?」
「ヒュドラは自分のナワバリから外には出ないから、この建物に近付かなければいいピュ。少なくとも、今以上の犠牲は出さずに済むピュ。どうしても倒したければ、建物ごと破壊するなり、焼き払うなりすればいいピュ。」
「それじゃあ結局、ひなこ先生達は見殺しにするしかないってこと? ……そうだね。それがあなたの限界なら、それが人間の限界なら、しょうがないのかもね。……だけど、……まだ、1つだけ試してない事がある。それを試すまでは、私、諦められない。納得できないよ。」
「試すって……何を試すピュか?」
「私と……あなたが……力を合わせるの。」
「むっ、無理だピュ! オマエはココロ優しい花の女神だから、人間を救いたい気持ちはわかるピュ! だけどヒュドラの前ではオレは非力だし、優しいオマエに闘いは無理だピュ! 力を合わせたって、どうにもならないピュよ!」
「う〜〜ん即答かぁ……。そだね〜。確かにクロリスには無理かもね。でも、ゼピュロス。あなたは大切な事を忘れてるよ。クロリスが憑依した『寄り代』の事を。」
「ピュ?」
「私、なんとなくわかるような気がしてきたよ。クロリスが私を『寄り代』に選んだ理由が。クロリスがプリキュアとして闘うためには、私のような人間が必要だったんだね。
 大丈夫だよゼピュロス。あなたの『風の衣』のチカラと、クロリスの『寄り代』の知恵……。私たち夫婦が力を合わせれば、どんな困難だって乗り越えられる。だからお願い。私にチカラを貸して。」

「でも……」
「『でも』も『しかし』も全部無し!! 力を貸してくれないんだったら離婚しましょ。ここでお別れよ。」
「だ…だけど……ヒュドラは……」
「じゃあね、ゼピュロス。永遠にさよなら!」
「わ〜〜〜〜っ!! わかったピュ! チカラを貸すピュ! だから『永遠にさよなら』なんて、寂しい事を言うなピュ。死に急ぐのだけはやめてくれピュ〜〜!」

 この時を堺に、キュアクロリスの主導権は完全にぽっぷが握る事になるのであった。


Scene9◆Round1〜俊速の花嫁

「天駆ける、一輪の花嫁がひとり。
     遥かなる天空(ウラノス)の女神、キュアクロリス!」

 屋上のぽっぷは、ゼピュロスと再び合体する。今度こそヒュドラと闘うために…。
 だが今度のキュアクロリスは、これまでとは少し違っていた。最大の特徴である『ゼピュロスの翼』が折り畳まれ、極端に小さくなっているのだ。それはキュアクロリスの陸戦形態、『フィールドフォーム』であった。

 キュアクロリスの本来の姿である飛行形態『ウィンディフォーム』は、大空を舞うために『ゼピュロスの翼』を大きく広げる。その翼は自由の象徴とも言える。しかし校舎のような限定空間では、大きな翼が邪魔となり、むしろキュアクロリスの自由を奪ってしまう。そこで『フィールドフォーム』の出番となる。だが、そのフォームは単に、限定空間でのマイナス要因を切り捨てたにすぎない。本来なら『フィールドフォーム』でこそ、花の女神クロリスの能力が発揮されるはずなのだが、ぽっぷが意識を保とうとするとクロリスは眠りについてしまうため、全くあてにならなかった。キュアクロリスにとり、地上戦が不利である事に変わりはないのだ。

 キュアクロリスが1階に下りると、廊下の先にヒュドラを見つける。距離にして20メートル。この間合いで有効な攻撃技を、キュアクロリスは持ってなかったが、ヒュドラも同様のようだ。
 ヒュドラもこちらをジッと睨みつけるだけで、動く気配がない。まるでキュアクロリスが近付くのを待っているかのようだ。それとも何かを守っている? ……あるいは、その両方か。
 ぽっぷは気付いた。ヒュドラの背後には昇降口ホールがある。ひなこ先生の話通りなら、そこには毒を浴び、動けなくなった美空小のみんなが集められているはずだ。

(ひなこ先生!!)

 ぽっぷは高ぶる感情を必死に押さえ込む。焦るな! 焦ってもみんなは救えない! 窮地にあればこそクールであれ! 
 そこでぽっぷは自分の怒りの気を反らそうと、ゼピュロスに話しかける。

「ゼピュロス、怖い?」
「こっ、怖くなんか無いピュ! オレはオマエが心配なだけだピュ!」
「うふふふ、オトコノコだね。心配してくれてありがとう。私はヒュドラが凄く怖いよ。女の子だしネ。だけど、ひなこ先生達を失うのはもっと怖い。人間以上のチカラがあるのに、何もしないで諦めるなんて耐えられないよ。だからあなたがいてくれて心強い。チカラを貸してくれて本当にありがとう。」
「お、おおう。いくらでもオレを頼るピュ!」

 落ち着きを取り戻したぽっぷは、キュアクロリスの右ヒジを見る。そこにはケガも無ければ痛みも感じなかった。ひとまず、合体を解くまでは心配しないでいい。
 ゼピュロスの話によると、キュアクロリスの身体は、顔や二の腕や太もも、指先やウェスト回りに至るまで、その全てが『風の衣』なのだそうだ。顔や体つきがぽっぷにそっくりなのは、クロリスの『寄り代』に似せて形造ったためらしい。
 だから、仮にぽっぷが大ケガをして身体に障害を持っても、プリキュアに合体すれば大暴れできるし、プリキュアの状態で大ケガをしたとしても、『風の衣』となるゼピュロスが全てのダメージを受け止めるため、ぽっぷ自身には傷一つ付かないのだそうだ。ただし、神経的ダメージや精神的ダメージ……つまり、身体や心の『痛み』は感じてしまうので、ダメージを受けすぎるとぽっぷのココロが壊れてしまう危険はある。
 何にせよ、ダメージは受けない方が良いということだ。

「じゃあ、そろそろ行くよ!」
「ピュッ!」

 キュアクロリスは全力で廊下を駆け抜け、一気に間合いを詰める。19メートル、17メートル、14メートル、10メートル、6メートル、1メートル! そして拳と蹴りの猛ラッシュが始まった。キュアクロリスは、ヒュドラの頭を集中的に狙い、次々と打撃を与えていく。しかしダメだ!! 一時的に動きを止めるのが精一杯で、まるでダメージを与えられない。おまけにヒュドラの頭の数が多く、全ての動きを把握しきれない。ヒュドラにおされ、少しずつ後退してゆくキュアクロリス。彼女にはパワーも手数も絶対的に足りないのだ。

(パワーで及ばないのなら、せめてスピードを……。
 
もっと速く! モットハヤク!! MOTTO HAYAKU!!!)

 心の中で呪文のように唱え続けるぽっぷ。するとどうだろう! 呼応するかのように、目の前で異変が起き始めた。ヒュドラの動きが段々鈍くなってゆくのだ。
 タイミングを外され、キュアクロリスの拳が何度も空を斬る。何故当たらない? ヒュドラからフェイントを仕掛けられている? いや! 違う!!
 ヒュドラが鈍くなったんじゃない! キュアクロリスが速くなったのだ!! さっきまでできなかった事が何故? 極限状態に置かれ、突如ぽっぷの能力が開花したのか? それとも、これこそがキュアクロリスの本来のチカラだったのか?

 今や複数あるヒュドラの頭の動きは、全て目視で追えるようになっていた。もちろん追えるだけでなく、身体も速さに対応できている。まるでキュアクロリスの時間だけが速く流れているかのようである。スローモーションで動くヒュドラなど恐るるに足らない。むしろ、紙一重で攻撃をよける事に快感すら覚えるようになっていた。
 ただし、パワーは相変わらずだった。スピードアップのおかげで、手数こそ圧倒するようになったが、いくら食らわせても、ヒュドラは何らダメージを受けていない。これでは負ける事も無いが、勝つ事もできない。………いや、ぽっぷにとっては、ひなこ先生達を救えなければ敗北なのだ。
 ぽっぷは心の中で叫ぶ。このままではダメだ! 観察しろ! そして考えろ! 何が何でも活路を見出すのだ!!

 その時、頭の一つが不審な動きを見せ始める。他の首に隠れようとしていたが、キュアクロリスは見逃さなかった。口を閉じ、頭を後ろに下げると、何かチカラをためるかのようにジッとする。
 何を仕掛けるつもり? もしや毒吐き? しかしヒュドラはバカじゃない。毒シャボンがプリキュアに通じない事はわかっているはずだ。

まさか?

 そのまさかだった。ヒュドラはシャボン玉ではなく、毒の原液を吐いたのだ! 神をも殺す恐怖の毒液がキュアクロリスに迫る!!
 しかし、ハイスピードに達したキュアクロリスにとり、スローで迫る毒液など、とるに足らぬ存在だった。余裕でかわせるのだから脅威ですら無い。油断しない限りヘッチャラだ。
 だが、そこには思わぬ落とし穴があった。ゼピュロスである。

「クロリスっ! 危ないピュ!!」
「うわわわわっ!! ちょっ、おまっ、なにっ!?」

 毒の危険を察知したゼピュロスは、『ゼピュロスの翼』を一気に広げると、そのままキュアクロリスを包み込んたのだ。それはあらゆる攻撃からクロリスの身を守る『ゼピュロスの抱擁』であった。ヒュドラの猛毒を防ぐ『絶対防御壁』である。ただ、絶対防御には致命的な欠陥があった。防御に徹するために、全ての能力を棄てなければならないのだ。
 ぽっぷはキュアクロリスの防御力の高まりを感じたが、その反面、身体が締め付けられ、全く身動きが取れなくなっていた。更に悪い事に、視界さえも奪われてしまったため、状況すらわからなくなってしまう。よりによってヒュドラの目前で、である。これではサンドバッグになったも同然だ。迫り来るヒュドラの気配になす術もない。ぽっぷは死を予感した。
 
「ア〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ(><)」

 それは頭突きだったのか、それとも体当たりだったのか。ヒュドラの芯の入った打撃を懐に受け、キュアクロリスは宙を舞った。ぽっぷは目の前が真っ白になるのだった……。


Scene10◆Interval〜ヒュドラの思惑

 静寂の白い闇が、ぽっぷを包んでいた。これが死後の世界なのだろうか?

(やっぱり、私だけじゃムリだよ。ごめんね、ひなこ先生。ごめんね、みんな。私、もうダメ。)
「ダメじゃない! ダメなんてこと無いよ!」
(え? …今のは誰? そこにいるのは誰?)

 ぽっぷの前に、懐かしい4人のシルエットが浮かび上がる。あれは…

「大丈夫。ぽっぷちゃんならできるわ。私が保証してあげる。」
(お、おんぷちゃん)
「だけど焦らんでもええんやで。3歩歩いて2歩下がるや。1歩1歩でも確実に進んでいけばええねん。」
(あいちゃん)
「困ったことがあったら、いつでも相談してね。ぽっぷちゃんは私たちみんなの妹なんだから。」
(はづきちゃん)
「がんばれよ!! おジャ魔女ぽっぷ!!」
(お姉ちゃん……って、なんでおジャ魔女? 今の私はプリキュアなんだけど…。そういえば、みんなにはまだ話してなかったんだっけ?)
「クロリス! クロリス!」
(そう。私、今はキュアクロリスって名前なの。)
「クロリス! しっかりするピュ!」
(うるさいなあ、もう! 人前ではぬいぐるみのフリをしててって言ったでしょ!!)
「クロリス!!」

 ゼピュロスの声でぽっぷはハッと我に返った。辺りを見回すが、どこにも4人の『姉』達の姿はない。夢だったようだ。それにしても『おジャ魔女』とは、なんとも懐かしい夢である。しかもあの時の記憶が呼び起こされようとは。

 あれは21世紀に入って間もなくのことだった。ぽっぷ達がまだ魔女見習いをしていた頃の話だ。4人の『姉』達は、『愛娘』ハナちゃんを救うために命をかけた。なんとか無事に生還したものの、代償として、魔女の証である水晶玉を砕いてしまう。その結果、『姉』達は魔女の刺客を永遠に失い、MAHO堂のオーナー、マジョリカの夢も潰えてしまった。本来ならMAHO堂は閉店&解散。マジョリカは魔女界へと帰ったはずである。だが、そうはならなかった。何故か?
 それはぽっぷが現役の魔女見習いであり、魔女の資格を失っていなかったからだ。
 たとえぽっぷが魔女になれたとしても、呪いを解くという、マジョリカの悲願が叶うわけではない。だが、マジョリカはぽっぷの才能に惚れ込んでいた。4人の『姉』達も、幼いぽっぷを支えたいと望んだ。その結果、メンバー全員がMAHO堂に踏みとどまったのだ。全てはぽっぷに一縷の望みを託すために……。だがそれは、ぽっぷにとってはかなりのプレッシャーだった。人間界と魔女界の未来を担うには、ぽっぷは幼すぎたのだ。

 ところが、ぽっぷは約2ヶ月ほどで、重い責務から解放されることとなる。6人目の魔女見習い、飛鳥ももこちゃんが加わり、4人の『姉』達も掟破りの返り咲きを果たしたためである。
 しかし、ぽっぷに開放感はあっても、喜びはない。むしろショックだった。責務を果たせなかったことがショックだったのだ。みんなの期待に応えられなかったことがショックだったのだ。ぽっぷがしばらくMAHO堂からはなれ、ピアノに専念していたのも、立ち直るのに時間が必要だったから。みんなに心の傷を知られたくなかったのだ。

 ぽっぷ独りに全てが託される…。そんな今の状況は、『あの時』とよく似ている。ところが不思議なことに、ぽっぷの心には『あの時』よりも余裕があった。多くの人の命が関わっている分、現状の方がずっと深刻なはずなのに……。
 実は『あの時』の苦い経験が、ぽっぷの血肉となり、免疫力を付け、ぽっぷの心をよりタフにしていたのだ。

「クロリス! クロリス! 大丈夫ピュか!!」
「え? ああ、ごめん。ちょっと想い出にふけっていたよ。」
「想い出ピュ? この非常時に余裕だピュね。クロリスの度胸には恐れ入るピュ。」
「あははは、まったくだね。でもおかげで想い出に励まされちゃったよ。」
「それはまた、どんな想い出ピュか?」
「う〜〜ん、話せば長くなるけど、苦労は若いうちにしておけってことかな?」
「………クロリスの言うことは、時々よく判らんピュ。」

 現状に心を戻したぽっぷは、状況を確認する。ぽっぷの居場所は廊下の端で、階段の側。ヒュドラから約20メートル離れている。つまりキュアクロリスは、ヒュドラの打撃で吹き飛ばされ、結果的に元の場所に戻ったのだ。そしてヒュドラは、昇降口ホールの側から離れず、ジッとこちらを睨め付けていた。

 ぽっぷは悩んだ。ヒュドラの行動の意味を読みあぐねていたのだ。
 先ほどの猛毒の原液による毒吐き攻撃には、明らかな殺意を感じた。ところがその後、ヒュドラはキュアクロリスを倒す絶好のチャンスを2度も逃している。1度目はゼピュロスのありがた迷惑な愛の抱擁で人間サンドバッグになった時。もしヒュドラがヘビの身体で締め付けてくれば、キュアクロリスは助からなかった。2度目は吹き飛ばされた後に気を失った時。追撃されれば同様の結果となっていただろう。キュアクロリスを倒さず、あくまで昇降口ホール前にこだわるのは何故なのだろう?

「ねえ、ゼピュロス。ヒュドラの毒って猛毒なんだよね。だったら、どうして学校のみんなは生きているの? 普通、猛毒って言ったら、軽く致死量に至るくらいの毒性があると思うのだけど。」
「ヒュドラは毒を操れるピュ。毒性の調整くらい簡単だピュ。」
「そうか…。つまりヒュドラは、少なくとも毒でみんなを殺す気は無いってことだよね。じゃあやっぱり、ひなこ先生のいう通り、エサにするためにみんなを捕まえたのかなあ…。でも、なんか引っかかるんだよね。」
「ヒュドラは人間なんか食べないピュよ。」
「え? 違うの?」
「オレたち神の一族が何かを食べるのだとすれば、それは『寄り代』の肉体を維持するためだピュ。例えばクロリスの『寄り代』は人間だから、ちゃんと食事を摂らないとチカラが出なくなるピュが、オレの『寄り代』はぬいぐるみだから、食べなくてもいい……というより、何も食べられないピュよ。クロリスの言うように、ヒュドラの『寄り代』が白ヘビのお守りなら、人間を食べるわけが無いピュ。」
「じゃあ……、どうしてみんなを殺さずに、一カ所に集めているのかな…。」
「オレにはわからんピュ。『寄り代』が本当は肉食動物なのか、思いもよらぬ理由があるのか…のどちらかとしか言えないピュ。」
「状況からして『寄り代』は白ヘビのお守りと見て間違いないよ。だとしたら…思いもよらぬ理由……かぁ。う〜〜〜ん、ヒュドラって怪物なのに思いのほか知恵があるからなぁ……。」

 人間には濃度の低いポイズンシャボン。プリキュアには原液のポイズンシャワー。
 人間は殺さないけどプリキュアは殺す。人間は捕まえるけどプリキュアは捕まえない。
 闘うプリキュアは殺すけど、闘わないプリキュアは殺さない?
 もしかして、ヒュドラはプリキュアと闘いたがっている? しかも正々堂々と?
 人質を取ってるのに『正々堂々』だって? ………え? 人質?

 ぽっぷはふと、TVで観たハリウッドのアクション映画の1シーンを思い出した。日系企業の高層ビルに立て篭った犯罪集団のボスが、突入してきた警察の特殊部隊に立ち向かう部下達に、無線で思わぬ指示をする。「なるべく殺すな」と命令するのだ。
 一見すると人道的配慮とも受け取れる。だが、無抵抗の民間人を射殺できるほどの非道集団だ。人道的配慮のわけが無い。実はこれには明快な理由があった。時間稼ぎである。
 特殊部隊の隊員を射殺せず、負傷程度にとどめておけば、仲間の隊員が負傷者を連れて撤退する。隊員一人を射殺しても敵が一人減るだけだが、負傷に止められれば一気に二人以上の敵を減らせるのだ。部隊の仲間意識や良心を逆手に取った、巧妙な作戦だったのである。

 もしヒュドラがプリキュアとの闘いを望んでいるのであれば、みんなを毒で痺れさせて1カ所に集めた理由は明らかだ。人質である。それも、キュアクロリスが逃げ出さないための『保険』としての人質だ。キュアクロリス…ではなく、ぽっぷの仲間意識や良心を逆手に取ったのだ。
 そのための人質? それだけのための人質? それで美空小のみんなを巻き込んだ?

「人質ヲ救イタケレバ、我ト闘エ。」

 それが昇降口近くに踏みとどまるヒュドラの、ぽっぷの心を見透かすように赤い目でジッと睨みつけるヒュドラの、無言のメッセージだったのだ。

「わかったよヒュドラ。あんたのメッセージ、今受け取ったよ。それがあんたの望みなら、あんたは私が絶対に倒すから。」

 キュアクロリスの瞳も今、真っ赤に燃え上がった。


Scene11◆Round2〜歪(イビツ)な再生

「ねえゼピュロス。お願いがあるのだけど、いいかな? 次に突撃する時、ゼピュロスは攻撃に専念してほしいのよ。防御は私に任せて。」
「任せるって……どうするピュ? 盾なんてどこにも無いピュよ?」
「そんなのいらないよ。ほらっ、私ってイメージカラーが赤でしょ? そのせいか判らないけど、『3倍速い人』の言葉が、やけに心に響くんだよね。曰く、『当たらなければ、どうということはない』。ようするに、毒液は全部よけちゃえばいいのよ。」
「なっ! 何ムチャクチャなこと言ってるピュか!! わずかでも浴びれば神すらも殺す猛毒ピュよ!!」
「毒は確かに怖いけど、ヒュドラの動きは全部追えたよ。この身体……『風の衣』も私の思った通りに動いてくれたしね。大丈夫だよ。防御を棄てても、スピードさえあればドジは踏まないよ。集中力がいるから長期戦はムリだけどね。それに誰が言葉か知らないけど、よく言うでしょ? 『攻撃は最大の防御なり』って。」
「だけど…」
「もうっ! 『だけど』も禁止!!」
「そっ、そんなに禁止されたら何も話せなくなってしまうピュ〜〜〜。」
「しょうがないなあ。…じゃあ、言葉狩りはやめるから、ちゃんと話を聞いてよ。この作戦は、あなたを信じているからこそ立てられたの。だから……あなたも私を信じてほしいの。お願いよ、ゼピュロス。」
「クゥゥゥ、愛妻家には拒みようの無い願いだピュね。わかったピュ。クロリスを信じるピュ。」
「ありがとう!! それでこそ私のダンナ様だわっ。それじゃあ、行くよ。」
「ちょっ、ちょっと待つピュ。覚悟決めるのに少し時間をくれピュ。」
「む………………………うん、そだね。せっかちでいけないね。ダメだね私って。ムリばかり言ってごめんね。……じゃあ、私は位置について待ってるから、あなたのタイミングでスタートの合図お願いね。」

 キュアクロリスはヒュドラを一度睨みつけると、廊下の反対側……一番奥の壁際まで後退した。すると廊下の隅の床に小さな水たまりができていることに気付く。どこから漏れているのか、天井から水滴が落ちていた。ポタリ、ポタリ……。ほぼ1秒間隔である。
 改めてヒュドラを見ると、距離は更に離れて約30メートルあるようだ。以前『100m走』をドドッた時(この世界における『ググる』の事)に学んだニワカ知識によると、一般的には30m〜40mの間にトップスピードに達するそうだから、むしろちょうど良いかもしれない。もっとも、それがプリキュアに当てはまるかどうかは判らないが…。
 キュアクロリスはその場にかがむと、両手を肩幅程度に離して床につけ、左足を前に、利き足の右足を後ろの壁にあてた。それは陸上競技の短距離競走で見られる『クラウチングスタート』というスタート法である。廊下の壁際まで下がったのは、壁をスターティングブロックの代わりに使うためだ。利き足を後ろにしたのも壁を蹴るため。その状態でゼピュロスの覚悟を待つ。
 ポタリ、ポタリ、ポタリ、ポタリ、ポタリ、ポタリ……。静寂の中、水滴の音だけがキュアクロリスの耳に響いた。

「も、もういいピュよ。」
「じゃ、『用意、ドン』って合図して。」
「わかったピュ。よ〜い………。」

 キュアクロリスはお尻を上げて静止した。一気に集中力を高める。

(もっと速く!  モットハヤク!! MOTTOHAYAKU!!!)

 ポタリ、ポタァリ…、ポタァァリ……。キュアクロリスの集中力が高まっていくと共に、水滴の落ちる間隔が広がってゆく。

「ドオォン!!」

 間延びしたゼピュロスの声が聞こえた瞬間、キュアクロリスの右足は廊下の壁を思いっきり蹴った。身体が一気に前面へと押し出され、加速が始まり、一気に間合いが詰まっていく。

 26メートル、23メートル、19メートル、14メートル、8メートル、1メートル!!

 ヒュドラはその瞬間を見逃さなかった。大小8つの頭から、ポイズンシャワーを吐き出したのだ。キュアクロリスの出ばなをくじくカウンター攻撃である。
 ヒュドラは先ほどの闘いで、スピードに乗ったキュアクロリスの動きについていけないと悟った。そこで8つの頭の向きを放射状に傾けると、直接キュアクロノスは狙わず、空中へ毒液を吐き出した。なるべく拡散するように。いわゆる『弾幕』を張り、キュアクロリスの逃げ道を塞ぐ作戦に出たのだ。俊速のキュアクロリスといえども慣性の法則には逆らえない。飛び込む以外の選択肢はないのだ。クモの巣に絡まったチョウチョのように、キュアクロリスの命運は尽きようとしているのだろうか?
 だが、その刹那、迫り来る毒液の軌道に緊張しながらも、ぽっぷはクスリと微笑んでいた。

(ここまでは予想通り!)

 ヒントは『格ゲー』だった。前後移動しかできない廊下での一騎打ちが、2Dタイプの格闘アクションゲームとよく似ていることに気付き、ぽっぷはそこから攻略法を見出したのだ。
 ヒュドラの毒吐きは『格ゲー』の必殺技に例えられる。小技なら隙も小さく、連続で出せるが、威力もやはり小さい。大技には凶悪な攻撃力が備わる反面、隙も大きいし、連続では出せない。つまりヒュドラの大技を誘い、スカしてしまえば良いのだ。大技であればあるほどヒュドラの無防備状態は長くなる。そこにありったけのチカラで攻撃を加えれば………。
 もちろん、口で言うのと実際にやるのとではワケが違う。キュアクロリスの猪突猛進な突撃で、ヒュドラは誘いに乗った。そして期待通り大技も放った。だが、その先はどうする?
 ヒュドラ必殺の『スペシャル・ポイズンシャワー』は、ドンピシャのタイミングで放たれており、外れようも無い。トップスピードに達したキュアクロリスが止まれるわけも無い。唯一方法があるとすれば、ヒュドラの周囲にはられた毒液の『弾幕』をかわしながら飛び抜けるしか無い。

 そう。キュアクロリスの狙いはそこにあったのだ。

 ヒュドラの頭は、大小併せて全部で8つ。その全てが毒液を吐いたとしても、空間全てに『弾幕』をはることなどできない。必ず隙間ができるのだ。一般人では隙間の確認すらできないが、『俊速の花嫁』の目には穴だらけだった むしろ、どの穴から抜けるべきか迷うほどだ。キュアクロリスを止めるには、弾幕が薄すぎる。
 ぽっぷは右斜め上の『弾幕』の隙間に頭から飛び込むと、ゆっくり回転しながら抜けてゆく。つま先が『弾幕』から抜けた瞬間、ぽっぷは心の中で叫んだ。

(斬って!!)

 ぽっぷの心の叫びを合図と受け取ったゼピュロスは一気に翼を広げる。パラシュートのように広がった翼は、キュアクロリスの重心を変え、猛烈な空気抵抗は頭から飛び込んだキュアクロリスの姿勢をグルンと180度回転させた。ぽっぷの目にはスロー再生をしているかのようにゆっくりだったが、実際には一瞬の方向転換である。プリキュアでなければ凄まじい負荷で首が折れていただろう。

 ゼピュロスは次に広げた翼の先を硬質化させ、鋭利な刃物へと変えた。カマキリの前足にも似たその姿は、『ゼピュロスの翼』の地上戦形態『ゼピュロスの鎌』である。通常は地上にキュアクロリスの足が付いた状態で、2本の鎌を振り回す。踏ん張りが利かない空中では、鎌の勢いに持っていかれてしまうため使い物にならないが、今回はそのような懸念は不要だった。翼を広げたためにエアブレーキは働いたが、キュアクロリスのスピードはまだ死んではいない。切っ先をヒュドラの身体に引っ掛けるだけでよかったのだ。
 2本の鎌はヒュドラの背中に深く食い込んだ。片方の鎌は確実に背骨にまで達している。致命傷のはずだ。その瞬間、ぽっぷの集中力が途切れた。

 ヒュドラの大小8つの頭が同時に悲鳴を上げる。断末魔だろうか? だが、油断はできない。仮に神経が切断でき、下半身が動かなくなっていたとしても、ヒュドラの機能は上半身に集中しているのだから。
 2本の鎌がアンカーとなり、失速したキュアクロリスは、その場に着地する。位置はヒュドラから見て左後方。ポイズンシャワーの射程範囲内だ。早く後退せねばならないが、何故かゼピュロスは回避行動をとらなかった。

「はぁ、はぁ、はぁ……、どうしたの? 早く抜いて、後退しようよ。」
「そ、それが……、鎌が抜けないピュ。」
「はぁ、はぁ、はぁ、……え?」
「刃が肉に食い込んで、身動きが取れないピュ! まずいピュ!! 逃げられないピュ〜〜〜!!!」
「ええええ〜〜〜〜!?」

 ゼピュロスは翼の先を軟質化して引っこ抜こうとするが上手く行かない。キュアクロリスも翼を掴んで引っ張るが、力を合わせてもダメだった。ヒュドラの胴体を足場にして踏ん張ってもビクともしない。あたりを見回すが、役に立ちそうな物は何も無かった。
 まずい! このままではまずい! 逃げられないだけでなく、翼が封じられているために防御もできない。
 もしやぽっぷはヒュドラの策にハマってしまったのか? 肉を斬らせて骨を断つ、ヒュドラ捨て身の作戦に……。いや、それにしてはヒュドラに動きが無い。仮に策だったとして、想定外のダメージだったということか? 『策士、策に溺れる』とは正にこのことを言うのだろう。もっとも、溺れているのはぽっぷも同じなのだが。

 ドクン!

 突然、鼓動のような振動が『ゼピュロスの翼』を通して伝わってきた。

 ドクン! ドクン!

 鼓動が増えてくる。ヒュドラの身体に何かが起きているのだ。ぽっぷの予想を超えた何かが。もはや躊躇している場合ではなかった。一刻も早く逃げ出さねばならない。

「うわわわ〜〜〜〜〜!! こんなところで無茶だピュ〜〜!!!」

 ぽっぷは最後の手段に打って出た。キュアクロリスのエンブレムを外し、合体を解いたのだ。途端に『風の衣』は煙と消え、ぽっぷは解放される。そして右ヒジには傷の痛みが、左肩にはボストンバッグが復活した。
 確かにこの状況では唯一の脱出方法だったかもしれない。だが、ぽっぷの身体には想定外のことが起きていた。身体が思ったように動かないのだ。これには3つの要因が重なっていた。
 一つ目はキュアクロリスの身体を自在に操りすぎたこと。結果的にぽっぷ本来の身体に戻った時、必要以上に不自由を感じてしまったのだ。
 二つ目は、今日が初めてのプリキュアだったのに、合体と分離を短期間に3回も繰り返していたこと。慣れないことを繰り返し続けていれば、気付かないうちに疲労だって溜まってくるものだ。
 そして三つ目がヒュドラの存在だ。怪物ヒュドラの発するプレッシャーを間近で受ければ、足がすくまない方がおかしい。プリキュアの時ならまだしも、今のぽっぷはか弱い女の子にすぎないのだから。

「早く!! 早く合体するピュ!!」
「分ってるよ。分っているけど、ちょっと待って。」

 5メートルほど廊下の奥へと進んだぽっぷは、振り返ってヒュドラを見た。プリキュアならまだしも、人間の身体ではとても安全とは言えない距離だ。だが、ぽっぷは躊躇した。今、合体してしまうと、ヒュドラの異変を見逃してしまいそうな気がしたのだ。
 ヒュドラの背中に刻み付けた2つの大きな切傷は、大きさの割に大して出血していなかった。ぽっぷの右ヒジの傷とは対照的だ。そう言えばゼピュロスは、ヒュドラには『常軌を逸した再生能力』があると言っていた。あれだけの深手を負ったにもかかわらず、早くも回復してしまったのだろうか? だが、その直後、ぽっぷは『常軌を逸した再生能力』の意味を知ることとなる。

 ヒュドラに異変が始まった。二つの傷はパックリと口を開くと、中から赤みの肉塊が盛り上がった。肉塊は紐上に伸びながら、赤みの帯びた筋肉に白いウロコが生えて来る。白いウロコに包まれ伸びきった肉塊は、その先がビリビリと裂け大きな口となった。赤い目が開き、産声を上げる。
 ヒュドラの頭が二つ増えたのだ。

「な、なんてこと……。傷口から……頭が……生えたの?」
「そうだピュ! あれがヒュドラの再生能力だピュ!! 傷を負う度に頭が増えて、どんどん強くなっていくんだピュ!!」
「そんなこと……強いとか危険とか、そんなコトどうだっていいよ!」
「え? え? そんなコトって……何を言ってるピュか?」
「傷を負う度に頭が増えるのなら……頭が8つもあるんだよ。私と闘う前からヒュドラは傷だらけだったってことじゃん。しかも、頭の大きさからしてかなりの深手だよ。かわいそうに……。」
「え? かわいそう? ……クロリス何を言ってるピュ?」

 ゼピュロスはぽっぷを見て驚いた。ぽっぷの瞳に涙があふれていたのだ。一方、再生を完了させたヒュドラは周囲を警戒し始めた。やがて後方のぽっぷに気付き、ゆっくりとぽっぷに身体を向けていく。

「ねえ、ゼピュロス。あんな傷を一体誰がつけたの? ヒュドラは誰と闘っていたの? 闘っていたヒトはどこに消えたの? どうしてこんな酷いことを……。私、もしかして、とんでもない勘違いをしてた……?」
「クロリスしっかりするピュ! 今はそれどころじゃないピュよ!! 合体して早く逃げるピュ!! クロリス!! ヒュドラがっ! ヒュドラが来るピュよ!! このままじゃ『寄り代』の命が危ないピュ!!」

 ヒュドラが迫り来る中、ぽっぷは涙を拭うと、両手を翼のように広げた……。


Scene12◆インターバル〜ココロの師匠

「どうして私、気付いちゃうんだろう。気付かなければ、ヒュドラを憎んでいられたのに……。」

 屋上に戻ったキュアクロリスは、日の落ちた海辺を眺めながら呟いた。やがて街灯が付き、美空小の周囲も徐々に薄暗くなっていく。まるで沈んだぽっぷの心に共鳴するかのように……。
 ヒュドラは誰かと戦っていた。いや、もしかしたら襲われていたのかもしれない。その時、心も身体も傷つけられ、怒りで我を忘れてしまったのではないか? 美空小の人々はたまたま巻き込まれただけではないか? ヒュドラに罪はないのではないか? キュアクロリスに殺意を向けるのは、もしかして、ヒュドラを襲ったのがプリキュアだったからではないか? もう一人の……二人目のプリキュアがいる?
 だけど……。例えヒュドラに罪が無かったとしても、全ての罪がもう一人のプリキュア(と思わしき人物)にあったとしても、ぽっぷは戦うしかなかった。巻き込まれたひなこ先生達を救うには、ヒュドラを倒す以外にないのだから。
 だけど…。だけど……。だけど………。

「あ、あれ?」

 キュアクロリスの頬を涙が流れ落ちた時、見覚えのある光景であることに気付いた。昔どこかで見た光景……デジャヴだろうか? 夕暮れの学校の屋上。遠くを見つめる後ろ姿。頬を流れる涙。ぽっぷと同じように悩み苦しむ少女が、ぽっぷの記憶の奥底にいた。あの子は誰? この記憶は何? あれ? あれ? あれ?
 ふり向いた少女のぎこちない笑顔を見た瞬間、懐かしい記憶が鮮明に蘇った。

「クロリスは頑張ったピュよ。だけど……やっぱりオマエには荷が重すぎるピュ。もうやめるピュ。」
「そうかもね…。でも、止められないよ。止めたら、諦めたら、そこで終わっちゃうもの…。
 ゼピュロスは知っているかな。昔ね……私と同じくらいの歳の女の子が、地球の平和を守るために戦ってたんだよ。その人はとっても優しい子で、敵がどんなに極悪非道な悪人でも、暴力での解決を望まなかったの。でも、敵を倒さなければ地球は守れないし、立ち向かう力を持っていたのは、その子だけだった……。だから、その子は一生懸命戦ったわ。どんなに心が引き裂かれようとも、みんなに笑顔を振りまいてね。」

「……知らなかったピュ。オレが眠っている間に、この世界でそんなことがあったピュか?」
「まあ……TVの話だからこの世界とは違うかな? 幼い頃の私の憧れ、スーパーヒロイン、コマンダーレディホワイト……。あの頃はただの憧れだったけど、プリキュアになった今は、偉大な先駆者だったんだって気付いたの。カレンちゃんの悩みや苦しみに比べれば、私の悩みなんて、まだまだヘッチャラかなって。こんなことで負けちゃいけないって。……あ、カレンちゃんってのは、コマンダーの地球での名前ね。」
「む〜〜〜〜。TVというのがよく判らんピュが、ようするにカレン殿は、クロリスの『ココロの師匠』なんだピュね。」
「あははははっ、ココロの師匠かぁ。そうかも…。」

 しばしの沈黙。やがて、沈黙に耐えられなくなったゼピュロスが口を開く。

「それでどうする気ピュ。ヒュドラと戦うにしても、手だてが無いピュよ。お手上げだピュ。」
「大丈夫。策ならあるから。」
「策? ……確かにさっきのクロリスの作戦は見事だったピュ。だけど、いかに鮮やかに技が決まっても、ヒュドラをパワーアップさせただけでは何にもならないピュ。地の利が無い現状では、あれ以上の攻撃は不可能だピュ。…………なのに、本当に策があるピュか?」
「理屈は簡単だよ。パンチやキックなんかの『面の攻撃』は効き目無し。刃による『線の攻撃』は効果があったものの力不足。だったら、全てのチカラをただ一点に絞り込めばいい。これでパワー不足は十分に補えるよ。」
「一点集中…『点の攻撃』…。となると『寄り代』への直接攻撃ピュか? それが可能なら、確かに倒せるピュが……。どうやってヒュドラの身体から『寄り代』の場所を見極めるピュ?」
「ヒュドラの頭が生えてきた時、気付いたんだよ。生え方に法則があるって。」
「法則……ピュか?」
「傷口から頭が生え、傷の大きさ、深さがそのまま頭の大きさに反映される。だから大きさも位置もバラバラだけど、一つ共通点があったの。頭の生える方向だよ。前側に生えた頭は前方向に、尻尾側に生えた頭は尻尾方向に生えてたんだよ。」
「前の頭が前方向で、後ろの頭が尻尾方向……。普通のような気がするピュよ。」
「じゃあ、前と後ろの境界線上に生えた頭はどっち向きになるの?」

「む〜〜〜〜〜〜〜。前方向でも後ろ方向でもないとすれば……上とか横…ピュか?」
「そう! その通りよ!! 背中を傷つけられれば上に生えるし、側面を傷つけられれば横に生えるの。ヒュドラの頭は、集中線を引くように、ある一点から外に向かって生えていたのよ。だったら、その中心には何があると思う?」
「……まさかそれがヒュドラの中心? つまり『寄り代』の場所ピュか!?」
「絶対とは言い切れないけど、確率としてはかなり高いと思う。試す価値は間違いなくあるよ。」
「す、凄いピュ。あの短期間に気付くなんて、クロリスの『寄り代』は本物の天才ピュね。」
「でも中心点を特定するには、今のままじゃ精度が足りない…。もう少しヒュドラの頭の数を増やさないと…。だからゼピュロス。もう一度接近してヒュドラの身体に傷をつけたいの。中心点を探るためだから、別に深く斬らなくていいんだよ。『ゼピュロスの鎌』なら、ヒュドラの身体をなでる程度で十分だと思う。………やってくれる?」
「その程度なら、お易い御用だピュ。」
「ありがとう。心強いよ。」

 ヒュドラを更に傷つけるなんて、正直ぽっぷはやりたくなかった。だけど、それ以外の方法が見つけられなかった。やるしかないのだ。ぽっぷは心の中で呪文のように唱えながら一階に降りていった。

(お願いカレンちゃん、私に戦う勇気をちょうだい。大切な人たちのために罪を犯す覚悟をちょうだい。お願いカレンちゃん、私に戦う勇気をちょうだい。大切な人たちのために罪を犯す覚悟をちょうだい。お願いカレンちゃん、私に戦う勇気を………)


Scene13◆Round3&インターバル〜準備

「……ゼピュロスごめん。ちょっとトイレに寄るね。」

 2階まで後退したキュアクロリスは、そのままトイレに駆け込むと、便座の中に嘔吐した。
 最悪の気分だった。他に方法が無かったとは言え、あまりにも惨い仕打ちをしてしまった。これではいじめや虐待と同じではないか!!

「だっ 大丈夫ピュか? 一体何があったピュ? もしかして、気付かないうちにヒュドラに攻撃されていたピュか?」
「大丈夫……大丈夫だから……少し黙ってて……。」
「うっ……わ、わかったピュ。」

 ヒュドラへの3度目の攻撃は、『寄り代』があると推測される胴体部分に集中させた。『ゼピュロスの鎌』による小刻みな攻撃は、ヒュドラに大したダメージも与えず、ストレスばかりを蓄積させていく。ただ苦しめるだけの攻撃……。正に『ヘビの生殺し』だった。
 だが、ストレスの蓄積はヒュドラだけではなかった。『ゼピュロスの鎌』がヒュドラに斬りつける度、翼を通じてその感触がキュアクロリスの頭へとダイレクトに伝わり、ぽっぷ自身をも苦しめていたのだ。
 おやつに食べたお菓子を全て戻し、胃の中が空っぽになって、ぽっぷはようやく喋る元気を取り戻した。

「まったく、何をやってるんだろうね。トイレでゲーゲー吐いてるスーパーヒロインなんて、前代未聞だよ。カッコ悪いったらありゃしない。とても日曜日の朝からちびっ子達に見せられるような光景じゃないよ。
 ……でも、でもね、なんか判るんだ。白鳥カレンちゃんだって、陰では泣いていたんだって。TVで描かれなかっただけで、今の私みたいに血反吐を吐くような思いをしていたんだって。
 あ、別に現実とフィクションの見分けがつかなくなっているワケじゃないからね。……こういうのをシミュレートって言うのかなあ。カレンちゃんの性格や境遇なんかを知った上で、現実にカレンちゃんがいたら、どんな風に考えるだろう? 自分がカレンちゃんだったら、どう行動するだろう? って考えているうちに、見えてきちゃうんだよ。」

 無理矢理笑ってみせるぽっぷ。ぽっぷは気付かなかったが、その痛々しい微笑みは、かつてのコマンダーレディホワイトそのものであった。

「クロリス……」
「止めないで! 私はやめないよ。」
「止めないピュ。こんなに頑張っているクロリスを止められるわけが無いピュよ。」
「ゼピュロス……」
「それにひきかえ、オレはダメな亭主だピュ。オマエの笑顔を守るとかカッコつけていたくせに、実際にはオマエを見守ることくらいしかできないピュ。」
「そんなこと無いよ。あなたは私の『わがまま』に、ずっとつき合ってくれてるじゃない。あなたが側にいて話を聞いてくれるから、私は『自分』を保っていられるんだよ。今の私はぎこちない笑顔しかできないけど、それでも笑顔でいられる。笑顔でいられるのはゼピュロス、あなたのおかげなんだよ。」
「クゥ〜〜〜〜〜〜!! オマエはホントに出来た嫁ピュね。そんなオマエが悩み苦しむ姿をいつまでも見ていたくはないピュ。早く戦いにピリオドを打つピュよ。」
「うん、そだね。こんな戦い、一刻も早く終わらせなくちゃ………。」

 トイレから出たキュアクロリスは、隣の教室に入ると辺りを見回す。何か、使えそうな物は……

「……ところで、ゼピュロスって音速の壁を越えられるの?」
「いきなりスケールのでかい話ピュね。そりゃあ、条件さえ揃えば、やってやれないことは無いピュが……。」
「へえ……どうすればできるの?」
「超高高度からの急降下だピュ。そうすれば地上ギリギリでなんとか音の壁を破れると思うピュ。」
「そっか……。地球の重力の助けが必要なんだね。音速は秒速340メートルくらいだから、30メートルなら0.1秒くらいで進めるかと思ったんだけど……。」
「30メートルって……もしかしてヒュドラのいるあの通路のことを言ってるピュか? そりゃ無理に決まってるピュ。加速するにしても距離が短すぎるし、仮に音速を越えた場合、発生した衝撃波で建物にどれほどの被害が出るか、見当も付かないピュ。」
「ごめんごめん。ちょっと現実離れしすぎてたね。」
「………なんか上の空みたいだピュね。クロリス、何をやってるピュ? 」
「え? あ? うん。何か武器になりそうな物は無いかと思ってね。」
「武器……ピュか?」
「そう。『点の攻撃』に活かせそうな武器。槍とか、矢尻になりそうなもの。」
「オレの翼じゃダメピュか? 翼の先を針のように尖鋭化させれば『点の攻撃』に特化できるピュ。」
「なるほど、『ゼピュロスの槍』だね。でもゼピュロス。私の要求に応えられる? 『寄り代』である白ヘビのアクセサリーは直径3センチくらいだよ。つまり許させる誤差は2センチくらい。おまけに具体的な目印も無い。この状況で『狙撃』ができる?」
「うっ………いや、ちょっと待つピュ。逆に聞くピュが、クロリスにはそれが出来るピュか?」
「やってみないと判らないけど、出来る気がするんだよね。もちろん、ゼピュロスの助けがあってこそだけど。………やっぱりこれしかないかなあ。ひなこ先生、壊しちゃうけどごめんね。」

 キュアクロリスは生徒の座る椅子を持ち上げると、鉄パイプで出来た足を力任せに引っ張った。メキメキメキと音を立て、鉄パイプが外れ…………。外れない。
 キュアクロリスがどんなに力を込めても、椅子は壊れなかった。素早さに特化したキュアクロリスは、普通の女の子より数倍強い程度で、パワーが全く無かったのだ。
 キュアクロリスは涙目で訴える。

「ゼピュロス、斬って〜〜〜。」
「しょうがないピュね〜。しっかり持ってるピュよ。」
「あ、折角だからお願い。斜めに斬って先を尖らせてね。」

 ゼピュロスはキュアクロリスの左翼を鎌状に変質させると椅子の足を一つ、スパっと斬った。見事な切れ味である。キュアクロリスは椅子を置くと、床に落ちたパイプの足の切り口をチェックする。

「ありがとう。トンガリ具合もツンツンしててイイ感じだよ。これならイケる。」
「オレの鎌で簡単に切れる程度の棒が、ホントに武器になるピュか?」
「運動エネルギーを追加すれば、きっと貫けるよ。」
「運動エネルギー? ……ああ! それで音速の話ピュか。」
「そう。あなたに攻撃を頼らないのは、攻撃精度の問題だけじゃない。最高速で廊下を駆け抜けるのに、あなたのチカラが必要だからよ。」
「特攻……ピュか?」
「大丈夫。かなり無茶な作戦だけど、死に急ぐつもりは無いよ。正面衝突は紙一重で避けてみせるから。あ、でも、その後は防御お願いね。」

 キュアクロリスに笑顔が戻る。少なくとも、ゼピュロスにはそう映った……。


Scene14◆Final Round〜光る校舎

 地球の衛星軌道上を回り続ける宇宙のゴミ『スペースデブリ』は、36,000kmの静止軌道では秒速3km/sと非常に高速で移動している。破壊力はすさまじく、直径10cmほどの大きさで宇宙船を完全に破壊してしまう。数cm程度でも致命的な損傷は免れないという。
 運動エネルギーは速度の2乗に比例するのだそうだ。ようするに、スピードを出せば出すほど破壊力が増すということ。火薬で撃ち出される弾丸の初速は、ライフルは800〜1000m/s。ハンドガンだと300〜360m/s。『スペースデブリ』には到底及ばないし、音速も越えられないが、せめて弾丸に近づければ……。そうだ、キュアクロリスは弾丸になるのだ。ヒュドラに撃ち込む弾丸に……。

 ヒュドラには『寄り代』を見定めるための印をつけた。ゼピュロスも全力を出してくれるだろう。そして武器も作った……。ぽっぷは念には念を入れ、鉄パイプの武器を更に3本作っていた。中から最も長くて鋭利な物を選ぶためだ。
 出来ることは全てやった。後はただ、実行あるのみである。

 1階に下りる。周囲は既に真っ暗だが、廊下の照明は幸いにも、ぽっぷが来る前から付けっぱなしだった。おかげでヒュドラのいる奥まで見渡せる。ヒュドラは相変わらず定位置に鎮座し、こちらを見つめていた。キュアクロリスの出方を待っているのだろうか? それとも動く元気が無いのだろうか?
 キュアクロリスはヒュドラの様子を遠目にうかがった。ヒュドラの傷口から頭が生えるまでには若干の時間がかかる。そのため、結果を確認せずに撤退していたのだ。だが、その姿にキュアクロリスの目が止まる。

「……あれ何? 背中に…花が生えてる?」

 それは正に花であった。ヘビの頭で出来た菊の花……。
 先ほどの攻撃で付けた傷は、浅く、細かく、複数のため、小さな頭がハリセンボンのように沢山生えていた。それが花に見えるのは、ヒュドラが儚げに見えるからだろうか。ぽっぷの心が泣いているからだろうか。

 感傷にひたっている場合じゃない。自らの手でとどめを刺さねばならないのだ。ぽっぷは意識を集中させ、キュアクロリスの感覚を研ぎすましていく。
 ゼピュロスの属性は『風』だが、鳥の能力も持ち合わせている。中でも飛び抜けているのが、俗に『タカの目』と呼ばれる視覚である。ぽっぷが意識を集中させれば、キュアクロリスの視覚は格段に上昇するのだ。30メートル程度の距離ならば、薄暗くても十円玉の製造年くらい軽々と読めてしまう。更に度を超した空間認識力で、直接見えずとも立体的に把握出来るのだ。
 目印さえあれば、ヒュドラの『寄り代』の位置を特定するなど、キュアクロリスには簡単だった。
 だが………。

「あ………う………しまった…………。」
「クロリス、どうしたピュ?」
「ううん、なんでもない……。ゼピュロス……準備、お願いね。」

 ぽっぷは決して間違ってはいなかった。キュアクロリスの能力を考えれば、最も成功率の高い作戦だ。だが、判明した『寄り代』の位置は最悪だった。『寄り代』の位置は正面に近く、攻撃はギリギリ可能だった。だがその位置は、もたげている首の部分ではなく、床に面する部分だったのだ。
 正面からでは肉厚もあり、場所もかなり低い。直撃させるためには最高速度で、最終的には地面ギリギリを這うように飛ぶしかない。走って助走を付けられるのは最初の数歩だけ。その後はゼピュロスの飛行能力に頼るしかない。
 条件はあまりにも厳しい。たった一度のチャンスを生かせるのか? 狙いは定められるのか? 刃は『寄り代』まで届くのか?

 ぽっぷは空気の流れが変わっていることに気付いた。キュアクロリスの全ての翼から風が発せられているのだ。あるいは吸い込んでいるのか…。30メートル以内で最高速に達するよう、一気に加速するためのエネルギーを溜め込んでいるのだろう。
 風とは大気の流れだ。キュアクロリスを中心に風が起きれば、周囲の大気にも影響を与える。限定空間ならなおのこと…。当然、ヒュドラも風を感じ取っているだろう。キュアクロリスが仕掛けてくると……。
 本来、あからさまな行為は避けるべきだ。だが、必殺の一撃に全てを込めなければ、貫くことすらままならない。なり振り構っていられないのだ。

「ゼピュロス……まだかかる?」
「すまんピュ。もう少し時間をくれピュ。」
「………まだなの?」
「焦らせないでくれピュ。」
「ごめん………………まだ無理?」
「も、もうちょっとピュ……。」

 キュアクロリスが1階に下りてから1分と経ってなかったが、ぽっぷには何時間も経っているような気がした。キュアクロリスの感覚が研ぎすまされていたことが災いしているようだ。その間、ぽっぷは何度も心の中で唱え続けた。
 
(お願いヒュドラ、そのまま動かないで。お願いヒュドラ、じっとしていて。)

 だが、その願いは叶わない。キュアクロリスの不審な動きにヒュドラが反応したのだ。もっとも、これだけあからさまでは反応しない方がおかしいが……。さて、ヒュドラはどう動く? 進むか? 退くか? それともあくまで踏みとどまる? だが、ヒュドラの行動は思いもよらぬものだった。

 中心となる頭は微動だにしないが、それ以外の前方の頭は左右に方向を変え、壁に噛み付いた。後方に生えた頭は大地に食らいつき、足のように胴体を支える。そして力を入れると、重そうな身体をゆっくりと持ち上げた。無防備な腹を見せ、その背中には菊の花のように生えた頭が放射状に見える。まるでダーツの的のように、狙いやすい位置まで腹を持ち上げたのである。
 ぽっぷには何がなんだか判らなかった。攻撃の要となる大きな頭は、持ち上げた身体を支えるために使っているのだ。更に無防備な腹をキュアクロリスに見せ、花のような背中の頭は後ろ向きになっている。攻撃力が低下しているのは明白だった。体勢にも無理があり、いつまでも同じ姿勢を続けられないだろう。そうまでしてヒュドラは何を企んでいるのか? キュアクロリスを誘い込むための罠か? 力を誇示せんがための威嚇行動か? それとも……それとも……まさか……『介錯』を望んでいる??
 ぽっぷに時代劇や大河ドラマの1シーンが呼び起こされる。勝負に敗れ、戦に敗れ、主を失った武士が、武将が、切腹をするシーンのイメージが。ヒュドラはキュアクロリスに「とどめを刺してくれ」と切望しているのか?
 真意は判らない。だが、『寄り代』を破壊するこれ以上のチャンスはもう無いだろう。たとえ罠だとしても、行くしかないのだ。クラウチングスタートでは手が塞がってしまうので、今度はスタンティングスタートの姿勢を取る。鉄パイプを構え、意識を集中させながら、ゼピュロスに話しかける。

「ゼピュロス、もういい! 突貫するよ!」
「え……わ、わかったピュ。」
「合図お願いね。」
「用意……ドン!

 ゼピュロスの合図でキュアクロリスはダッシュした。その瞬間、全ての翼から圧縮空気が後方へと吹き出され、キュアクロリスは一気に加速する。
 校舎中の窓ガラスが次々と砕け、吹き飛ばされていく刹那、ぽっぷは確かな手応えを感じた。ヒュドラの『寄り代』を貫いた、確かな手応えを。そしてぽっぷは確かに聞いた。ヒュドラの声を。「ありがとう」という感謝の言葉を……。

 ヒュドラの『寄り代』、白ヘビのお守りが砕けた。
 ヒョドラの身体もお守りのようにヒビ割れ、砕けた。
 そして校舎や空間までもがヒビ割れ、砕け、光に包まれた。
 光は校舎全体を包み込み、弾けた。キュアクロリスも光に巻き込まれ、目が眩む。雪や雲などによって視界が白一色となり、方向が識別不能となる現象が『ホワイトアウト』なら、光に包まれ方向が識別不能となる現象は『シャイニングアウト』と呼ぶべきだろうか?

 我に帰ったキュアクロリスは、廊下に一人たたずんでいた。そこは間違いなく、ヒュドラと死闘を繰り広げた一階の廊下である。だが、何かがおかしい。日が落ち真っ暗になったはずの外は夕暮れに戻っているし、校舎のどこにも死闘の痕跡が見当たらない。おまけにキュアクロリスが感じていた疲労感も消え去り、身体に力が漲っていた。校舎には、何事も無かったかのように穏やかな空気が流れていた。
 ただ、一つだけ特異なことがあった。ヒョドラが居たはずの場所には、砕けた白ヘビのお守りが散乱しており、その上……キュアクロリスの目線のあたりに、カードが浮遊していたのだ。それはヒュドラの『神札』だった。
 キュアクロリスはそっと手を伸ばし、『神札』を掴む。するとヒュドラの心が伝わってきた。ヒョドラ自身が本来持ち合わせていた邪悪な心……。そして白ヘビのお守りに憑依したことによって得た清らかな心……。相反する二つの心が激しくぶつかり合い、葛藤を続けていた。それがヒョドラの行動に一貫性を無くさせ、ぽっぷを混乱させた原因だったのだ。キュアクロリスの瞳からは自然と涙が溢れ出た。

「邪悪な者が清らかな心を得て、悩み苦しんだ挙げ句に出した決断が、己の抹殺だったなんて……。」
「クロリス……。早く神札を『ウラノスブック』に収めるピュ。新たな『寄り代』に憑依したら、また同じ悲しみを繰り返す事になるピュよ。クロリスが泣いているとオレまで悲しくなるピュ。」
「……そ、そうだね。じゃあ、合体を解かなくちゃ。」
「合体は解かなくても大丈夫ピュ。ウラノスブックを呼び出せばいいんだピュ。」
「そんなことが出来るの? えっと、それで……なんて言えばいい?」
「特に呪文の類いはないピュ。好きなように呼べばいいピュよ。」
「なんかアバウトだね…。じゃあ、やってみるよ。
……『ウラノスさん、ウラノスさん、おいで下さい。』」

 まるでコックリさんを呼び出すかのように唱えるぽっぷ。低俗霊に対するがごとき振る舞いは、遥かなる天空の神に対してあまりにも罰当たりだが、ウラノスブックは神罰を与える事無く現れた。神札同様、キュアクロリスの胸元に浮遊し、自動的に扇状に展開する。
 キュアクロリスはウラノスブックを手にすると、ヒュドラの神札を収納した。これでヒュドラはこれ以上苦しまずに済む。ゆっくりお休み。ヒュドラ……。

 さっきまで静かだった校舎が騒がしくなった。昇降口ホールの方向から人の声やざわつく音が聞こえて来る。ヒュドラの毒に痺れていた美空小の先生方や生徒達が目を覚ましたのだ。

「長居は無用だピュ。引き上げるピュよ。」
「そだね。テスト期間中だし。早く帰って勉強しなくちゃ。」

みんなは無事だった。これでぽっぷの苦しみがやっと報われる。ぽっぷにやっと笑顔が戻った。作り笑顔でない、本当の笑顔が……。


Bパート完。◆ 引き続き、ENDパートへ


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オモイドウ
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