PRECURE SQUARE solo>#04Aパート
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Scene0◆アバンタイトル〜花一輪

 夕暮れの美空駅前繁華街。買い物に訪れていた僕は、前からトボトボと歩いて来る女子生徒に目が止まった。野原に咲く小さな花のように清楚で可憐な超絶美少女だった。だけど僕は、決して見とれていたわけではない。彼女に見覚えがあったのだ。だけど彼女が誰なのかどうしても思い出せず、記憶を呼び起こそうと必死になっているうちに、知らず知らずに凝視していたのだ。
 超絶美少女は、背格好から察するに中学1年生か2年生。彼女の着るボレロタイプの制服は、美空市内ではカトリック系ミッション・スクールにしてお嬢様学校のカレン女学院だけだ。しかし下校時間なのに鞄は持っていなかった。一度帰宅して繁華街に来たのだろうか? 何か悩みでもあるのか、うつむいていて、表情は重かった。
 だめだ。どうしても思い出せない。一体どこで見かけたのだろう。カレ女の生徒と言えば、知り合いが二人いるけど……。
 僕の視線や気配に気づいたのか、うつむいていた花は頭をもたげ、僕の顔をじっと覗き込んだ。間違いなかった。僕はこの子の瞳を知っている。ソナチネ幼稚園の頃から美空小学校を卒業するまで、ずっとずっと彼女を見つめていたのだ。たった一年会わなかったくらいで、初恋の人を見間違えたりなんかするものか。
 僕は満面の笑顔で彼女に話しかける。

「久しぶりだね。ぽっぷちゃん! 元気にしてた?」

 それにしても……女の子とはたった一年でこうも変わるものなのか。一見すると全くの別人としか思えないくらいの大胆なイメージチェンジだ。花にたとえるなら、かつてのぽっぷちゃんは明るく元気で周りを幸せにするひまわり。いまのぽっぷちゃんは野原でかわいらしく咲く小さな花だろう。
 かつて太陽のような輝きを放っていた瞳は、どこか儚げで憂いを秘め、今にも泣き出しそうだった。翼のようだったピンク色の髪は、引きずるほど長くのばしていて、女の子らしさがより強調されていた。健康的なイメージを排するためか、左目を前髪で隠すことでミステリアスな雰囲気を醸し出しており、どこか色っぽくもある。無垢な幼子のようにぬいぐるみを抱きかかえる姿からは、あふれる知性を感じない。
 この一年でぽっぷちゃんに何があったのだろう。たった一年で別人のようになるくらい、カレ女の生活は過酷なのだろうか。すると彼女は怯えた声で、ようやく重い口を開いた。

「……あなた、どなた?」

 思いがけない反応に、僕は固まってしまう。たった一年で忘れられたのか? それとも冗談? ……冗談だよね、ぽっぷちゃん!

「ひ、ひどいなぁ。僕、かずひろだよぉ。そんなに変わったかな。そりゃたしかに前より太ったけどさ。……でもちょっとだけだよ」
「あ、あの……。人違いだったらごめんなさい。もしかしてあなた、ぽっぷちゃんのお友達ですか?」

 僕は混乱した。ぽっぷちゃんじゃない? 人違いをした? いやいやいや、そんなはずは無い。たしかに見た目も性格も別人のようだけど、声だってぽっぷちゃんそのものだ。だとしたら、この状況をどう説明する? 

「私はクロリスと申します。花の女神で、ぽっぷちゃんの知り合いです」
「え? クロリス? 意味が分からないんだけど……」
「かずひろさん…でしたね。あなたをぽっぷちゃんのお友達と見込んでお願いします。私をお花畑へ連れて行ってください!」
「お花畑って……花屋さんならすぐそこにあるよ」
「いいえ! 切り花ではダメなのです。この街の西側の、ずっと向こうにあるお花畑まで連れて行ってほしいのです」
「この街の西側の、ずっと向こう? ……もしかして、美空高原のこと? でも、これから行くとなると、夜になっちゃうよ。バスの便も少ないし、下手すると帰れなくなっちゃうかもしれないけど……」
「ご迷惑なのは判っています。だけど私にはあなた以外、誰も頼れる人がいないのです。どうかお願い。助けてください」
「………そりゃあ、他ならぬぽっぷちゃんの頼みなんだから、なんだってやるけどさ」
「ありがとうございます! ……でも私、ぽっぷちゃんじゃなくて、花の女神のクロリスです」
「あ、ごめん。そうか。そう言う『設定』なんだね」

 僕はようやく状況を理解した。ぽっぷちゃんがいつもの『ゲーム』を始めたのだと。
 昔からぽっぷちゃんは、時々おかしな事をしていた。普段が常識的なだけに、その落差は凄まじく、友達どころか、先生すらも途方に暮れさせたものだ。一番凄まじかったのは一年生のときの幼児退行現象だろうか。ぽっぷちゃんのお姉さんが乱入してきたおかげで事なきを得たけど、ちょっとでも間に合わなかったら大変なことになっていただろう。しかし大抵次の日には元通りのぽっぷちゃんに戻るので、僕たちはいつの間にか『天才少女ならではの奇行』と納得するようになった。
 奇行とまでは言わないまでも、ぽっぷちゃんは僕たちが思いもよらぬ遊びを提案して来た。普段の何気ない日常生活の中からうれしい事、楽しい事を見つける『良かった探し』を始めたり、学校に携帯ゲームを持って来てはいけないから、代わりに『テーブルトークRPG』にチャレンジしたり…。
 同じ事を今でもやっているなら、もっと規模が大きくなっているだろう。きっとぽっぷちゃんは美空市を舞台に役割演技、すなわち『ロールプレイング』をしているのだ。

「えっと…じゃあ、クロリスさん初めまして。僕は遠藤かずひろ。ぽっぷちゃんの昔からの幼なじみで、親友の一人だよ」
「かずひろさんですか。素敵なお名前ですね」
「そ、そんな事は無いと思うけど…ところぽっぷちゃん……じゃなくてクロリスちゃん。もう少し『設定』というか、『状況』を説明してもらえないかな。例えばクロリスってどんな邪神なの?」
「じゃ、邪神?」
「あれ? クトゥルフ神話のキャラクターじゃないの?」
「いいえ。ギリシャ神話です。私は邪な神ではありません。花の女神です」

 てっきりぽっぷちゃん達と遊んだテーブルトークRPG『クトゥルフの呼び声』が題材かと思っていたが、違ったようだ。僕は内心ほっと胸をなで下ろす。あれは怖すぎる。でも、ギリシャ神話ってどんなのだっけ?
 美空高原に向かうには、タクシーで向かう事も出来るが、中学生の身には贅沢すぎるので問題外。残るはバスで直接向かう方法と、電車で途中まで向かい、バスに乗り換える方法の二つだ。どちらも美空駅から出発なので、まずは美空駅に向かい、出発時間を確かめよう。『状況』を聞くのはそれからだ。

 ところで僕…臭くないよな。
 ぽっぷちゃんがよそを向いている隙に、僕は手に息を吹きかけ、匂いを嗅いでみる。……よし、大丈夫だ。食生活にも気をつけているし、体臭対策グッズも効果を上げている。きっときっと大丈夫だ……。 


◆ ◆ ◆ ◆ 天空の独奏曲 第4番 ◆ ◆ ◆ ◆

『あの日出会った花の女神を僕は忘れない  
     
     クロリス、愛の逃避行』


Scene1◆ロールプレイ

 テーブルトークRPGとは、ゲーム機などを使わず、紙や鉛筆やダイスなどを用いて、プレイヤー同士の会話とルールブックに従って遊ぶ、『対話型ロールプレイングゲーム』のことだ。参加者は一人のゲームマスター(GM)と、プレイヤーキャラクター(PC)を演じる複数のプレイヤーに分けられる。
 ゲームマスターは他の参加者と対話しながら、ゲームの舞台や世界観、ゲームに登場する事件や人物を説明し、プレイヤーが考えたキャラクターの行動を裁定することでゲームを進行させる。
 プレイヤー達は、別個の架空人物であるプレイヤーキャラクターを演じながら、行動をゲームマスターに宣言し、戦いや謎解きなど、様々な課題に挑戦する。これを繰り返しつつ、プレイヤー同士が共闘もしくは競争しながら物語を紡ぎだし、最終的目標の達成を目指してゆく。
 2年ほど前にみんなで遊んだ『クトゥルフの呼び声』では、ぽっぷちゃんがGMとなり、残りのみんながPCである探索者となって、神話生物に立ち向かった。しかし今回のゲームは、紙も鉛筆もダイスも(もしかしたらGMすらも)必要としていない。ロールプレイ(役割演技)に重点を置き、美空市全体を舞台にしているようだ。題材はギリシャ神話。前世紀に書かれたラヴクラフトの小説に基づくクトゥルフ神話と違い、こちらは紀元前から語り継がれている本物の神話である。しかし僕は、ギリシャ神話を全く知らなかった。もっとも、物語を紡ぐ過程で徐々に知っていく方がゲーム的には面白いので、むしろ知らなくて幸いだったかもしれない。

 ゲームの状況を整理しよう。
 今回ぽっぷちゃんが演じているPCは『クロリス』。ギリシャ神話に登場する花の女神だ。技能に花を操る能力があるそうだが、花を咲かせたり枯れさせたりすることが何の役に立つのか。いまいちよくわからない。戦闘力は皆無。体力も運動神経も人並みで、逃げ回ることしかできないが、走るのも苦手らしい。つまりぽっぷちゃんが、か弱さを見せたり、しおらしく振る舞ったり、ミステリアスな雰囲気を醸し出しているのは、イメージチェンジではなく、『クロリス』役に徹していたからなのだ。
 ぽっぷちゃんが大切そうに抱きかかえているぬいぐるみは、その正体は西風の神『ゼピュロス』。なんと『クロリス』の夫である!!! ペンギンなのに何故かベースカラーが緑で、どう見ても『ペンタロー』のパチモンとしか思えないぬいぐるみが、ロールプレイとはいえ、ぽっぷちゃんの旦那様なのだ。なんか悔しいぞちくしょ〜〜〜。ちなみに『ゼピュロス』は、『クロリス』をかばって傷つき倒れ、気を失っているという設定らしい。
 そして『ゼピュロス』を打ち倒し、『クロリス』を追っているPCが海王伸『ポセイドン』。演じているプレイヤーも僕らと同じ中学生かと思いきや、なんといい年したおじさんで、しかもカニの仮面をかぶっているらしい。ぽっぷちゃんの交友関係の広さにはいつも驚かされる。仮面を外すことで一般人に紛れ込むことができる反面、仮面をかぶらないと『ポセイドン』として『クロリス』の前には出て来れない設定らしい。人前でカニの仮面なんてかぶったら変質者か何かと思われるだろう。つまり一時しのぎとはいえ、群集の中にいる限りは『ポセイドン』も『クロリス』に手が出せない訳だ。
 ぽっぷちゃん演じる『クロリス』の目標は、美空高原にたどり着くこと。それを『ポセイドン』に阻止されればゲームオーバー。また、美空高原にたどり着くのが遅くても、門限的にゲームオーバーだ。タイムリミットは2時間くらいだろうか。
 そして僕のPC的役割だが…。ぽっぷちゃんが女神役なのだから、僕も神様役を演じたかったが、あいにくギリシャ神話をまるで知らないので、ロールプレイをしようがない。クトゥルフの神話生物なら演じられるのだが、そういう趣旨のゲームではないだろうし……。状況的にみて、神々の争いに巻き込まれる『一般人』という立ち位置で関わるのが無難だろう。つまり僕は、僕自身をPCとして演じるわけだ。さしずめ巻き込まれ型主人公といったところか。

 それにしても……。ぽっぷちゃんと一対一で話をするのは何年ぶりだろう。思えばぽっぷちゃんといる時はいつも友達みんなで集団行動だった。二人っきりになれたとしても、ものの数分だ。それが今日は2時間も一緒にいられる。こんなに嬉しいことはない。ぽっぷちゃんとの再会が偶然なのか、僕が繁華街にいることを見越した上でのゲームプレイなのかはわからないが、このゲームに参加できたことを、僕は神様に……クトゥルフではなくギリシャの神々に……心から感謝した。

「ところで『クロリス』ちゃん。さっき僕に『ぽっぷちゃんのお友達ですか?』って聞いたよね? そして『クロリス』ちゃん自身もぽっぷちゃんの友達なんだよね?」
「はい。そう…です」
「つまりこのゲームには、僕が実名のPCで参加しているように、ぽっぷちゃん自身もゲーム内のキャラクターとして存在していることになる。だけどぽっぷちゃん自身が演じるPCは『クロリス』なわけで、これがどういう意味なのか、訳が分からなくなってたんだよ。もしかして『イス』と精神交換した状態と同じだと解釈すればいいのかな?」
「……あ、あの…。かずひろさんのおっしゃることがよくわからないのですけれど……。『イス』とは何ですか?」
「え〜〜! 神話生物のことはぽっぷちゃんから教えてもらったんだよ。なんで知らないふりなんかするの? ……ああ、『クロリス』役を演じてるからか。じゃあ、おさらいの意味を込めて説明するけど、『イス』はクトゥルフ神話に登場する古き神々の一つで、正確には『イスの偉大なる種族』……だっけ? 銀河系『イス』からやってきた精神生命体だから、神様というより高度な文明を持った宇宙人と言った方が近いかもね。知識を収集するために様々な文明の生物に憑依して、その生物として生活している。つまり、今のぽっぷちゃんは『クロリス』に憑依されている状態なのかなって思ったんだけど」
「!?」

 僕の説明を聞いたぽっぷちゃんは、驚いた表情を浮かべると動揺を隠すかのようにうつむいた。すごい演技だ。本当に動揺しているように見える。そこで僕は改めて「どう? この解釈であってるかな?」と問いかける。するとぽっぷちゃんはしばらく迷っていたが、観念したかのように重い口を開いた。

「………そうです。かずひろさんのおっしゃる通りです。私は今、ぽっぷちゃんの体を借りています。そしてごめんなさい。ぽっぷちゃんのお友達というのは嘘です。ずっとずっとそばにいたけれど、お話ししたことすらありません。どんなにお友達になりたくても無理なんです。私が覚醒できるのは、ぽっぷちゃんが眠っているときだけですから……」

 思いがけない告白だった。いや、告白という名の情報提供と言った方がいいのかな。ギリシャの神様が現代日本に直接訪れるのではなく、人間に憑依して活動する…か。なるほど。この設定なら、知識さえあればリアルでも神様役を演じることができる。とっさの思いつきで話したようには思えないから、事前に準備していたのだろう。
 何気ない疑問を追求することで謎が明かされてゆくシナリオか……。よく練り込んでいるじゃないか。さすがはぽっぷちゃんだ。ゲーム終了までに、どこまで謎を解き明かすことができるのか。うかうかしていると、何ら謎が解明されないままゲーム終了もあり得る。とにかく疑問に感じたことには片っ端から追求していくようにしよう。

 ……それにしても、一対一で密に話せるせっかくの機会なのに、ぽっぷちゃんとロールプレイで盛り上がってしまうなんて、何なんだろうなぁ、僕……


Scene2◆52柱の神々

 僕はぽっぷちゃん演じる『クロリス』と共に、電車に乗ることにした。隣駅までの移動だが、時刻表を見る限り、隣の西美空駅からバスに乗った方が一番時間効率がよさそうだったのだ。
 美空駅のホームには下校中の学生が多数いた。大半は高校生以上で中学生以下はあまり見かけない。知り合いに遭遇する心配は少なそうで、僕はホッとする。できればこのゲームが終わるまでは、ぽっぷちゃんと二人でいたい。特にみさきくんとだけは絶対会いたくない。あいつは空気を読まずにゲームを台無しにしかねないからなぁ。知り合いと誰にも会うことのないよう、僕は心の中で様々な神や邪神に祈った。

 ホームで電車を待つ乗客の多くは高校生や大学生のようだったが、中には大人もチラホラ見かける。もしかしたらその中に『ポセイドン』役を演じている人が紛れ込んでいて、僕らをこっそり観察しているのではないだろうか。その人もこのゲームのプレイヤーなのだから、ぽっぷちゃんは正体を知っているはずだが、『クロリス』役に徹する以上、『ポセイドン』役の人が目の前にいたとしても、カニの仮面をかぶるまでは気づかないふりをするつもりだろう。
 そう考えているうちに、僕は違和感に気づいた。追いかける『ポセイドン』は海の支配者、海王伸だ。対して逃げる『クロリス』は花の女神で、夫の『ゼピュロス』は西風の神。敵対関係にあるとして、バランスが悪くないか? この3人の神様には何かしらの因縁でもあるのだろうか? 例えば、三角関係のもつれとか…。う〜〜〜ん、聞きづらい。たとえ演技でもぽっぷちゃんがドロドロの愛憎劇の渦中にいるとか、考えるだけでも嫌だ。それとも……もしかしたら……。まあ。聞くだけ聞いてみよう。

「ねえ、『クロリス』ちゃん。ちょっと気になったんだけど、『ポセイドン』とはどんな因縁があるの?」
「………考えつく限りでは、何もありません」
「何もないのに狙われてるの? じゃあ『ポセイドン』が『クロリス』ちゃんを狙う目的って何だろう?」
「はっきりしたことはわかりません。もしかしたら何もないのかも……。でも『ゼピュロス』は私をかばって刃に倒れました。海王神がどのような目的を持っていようと、私には逃げ出す以外ありません」
「それはそうだね。じゃあもう一つ。今回のゲームに参加しているプレイヤーは他にいるの?」
「………ええっと……ゲェムですか? それは、どういう意味でしょう?」
「PC的セリフに言い換えないとダメ? ……じゃあねぇ…。まず、誰か『クロリス』ちゃんの味方になってくれる神様はいないの?」
「あ、はい! います! 狩猟の女神『アルテミス』さんと狩猟の神『アポロン』さんです。怖いですけどとても頼りになる双子のご兄妹です。『アポロン』さんは『ゼピュロス』のお友達でもありますし。……でも、助けを求めようにも、私は憑依している人間の名前を知りません。連絡のしようが……」
「味方プレイヤーは無しかぁ……。つまり僕らだけでなんとかしないといけないんだね。了解。それじゃあ敵はどう? 『クロリス』ちゃんの敵は『ポセイドン』だけ?」
「え? あ…」

 ぽっぷちゃんの顔がみるみる青ざめてゆく。真に迫っているけど、本当に演技なのだろうか? でもまあ、天才美少女のぽっぷちゃんだから、これくらいは当然か。しかし……演技とはいえ、ぽっぷちゃんのおびえる姿を拝めるとは! むちゃくちゃかわいいんですけど! そ、そうか! これがギャップ萌えってやつか!! もう、命に代えても護っちゃうよ!

「そうでした…。他の神々にも狙われる可能性があったんです」
「他にどんな神様がいるの?」
「それは実際に遭遇しないとわかりません。はっきりしているのは、この街には52柱のギリシャの神々がいて、戦い合っているということだけです」

 突然『クロリス』は思いがけないことを口走った。神々が戦い合う定めだって? しかも、さっきまで登場するギリシャの神々は3柱だったのに、一気に約17倍にスケールアップしてしまった。このゲームはいったいどんなシナリオなんだ? 膨大なスケールの物語の1エピソードなのだろうか?

「戦い合うって…52柱の神様が、たった一人の勝者を決めるためにバトルロワイヤルしてるってこと?」
「正確には、二柱の神を選ぶ戦いです」
「一人じゃなくて二人…。何故二人なんだろう?」
「わかりません。理由までは記憶していないんです。私たちは断片的な記憶しか持っていなくて、他の神様の持つ記憶と重ね合わせていかないと、全貌が見えてこないようになっていますから」
「へぇ」

 勝利を目指すだけではクリアしても真実にたどり着けない。真実を目指せば共闘を余儀なくされ、情が移れば戦いに葛藤が生まれる。どんな結末となるかはプレイヤー次第ということか。いいね。実にいい。

「それにしても知らなかった……。ギリシャ神話ってそんなにアツい物語だったんだ」
「いいえ、違います。ギリシャ神話とは全く関係ありません」
「え!? 違うの?」
「これは『スクエア』の…美空市の限定ルールです。無数に存在するギリシャの神々の中から52柱が選ばれ、私たちはこの街に閉じ込められました。さらに天空、大地、蒼海、冥府の4属性に振り分けられ、そして13段階のランクに分けられました」

 52の神々。4つの属性。13段階のランク。……つまり、トランプモチーフのバトルロワイヤルなのか。あれ? でもそれなら……

「だったら、選ばれた神様は53柱か、54柱なんじゃないの?」
「……どうしてですか?」
「だってトランプモチーフなんでしょ? ジョーカーが入ってないじゃん。それに売られているトランプなら、カードを無くしたときのための予備として、何も描かれていないカードが入っているから、これをもう一枚のジョーカーと解釈することもある」
「ジョーカー? 2枚? 2枚……」

 ぽっぷちゃんは突然うつむくと、僕の呼びかけには反応せず、ブツブツと独り言を話し始める。

「カードケースに収められるのは13枚……。なら、残りの2枚はどこに収めるの? ……もしかして、勝ち残った2柱の代わりに収められる? だとしたら……その2柱は何? どの属性にも当てはまらない神? それとも、全てを敵に回すくらいの特異な存在?」

 周りがうるさくて、ぽっぷちゃんが何をつぶやいているのか、僕には聞き取れなかった。仕方ないので、僕は周りを警戒しながら電車が来るまでそっとしておいた。……とはいえ、シナリオ上52柱の神がいて、『ポセイドン』以外にも敵対するプレイヤーがいるのだとすれば、大人だけを警戒しても意味がない。しかし、近づく人全てを疑っていてはきりがない。いったいどうすればいいのだろう。
 僕は途方に暮れながらも、ぽっぷちゃんがギュッと抱きしめるぬいぐるみに嫉妬を感じていた。くっそぉ。そこ代わってくれないかなぁ……。


Scene3◆カオス

「あの…。かずひろさん。質問があります。ゲェムとは何でしょう?」

 考え込んでいたぽっぷちゃんは顔を上げると、突然妙な質問をしてきた。

「う〜〜ん、そうだなぁ。僕にとってゲームとは…」
「あ、いえ、そういうのではなくて、一般論としてのお話です」

 なんだ。『クラナドは人生』的な、おもしろ回答を求められているのかと思ったら…。でもどうしてそんなことを聞くんだろう。僕にどれだけの知識があるのか試しているのかな?

「それなら……『遊び』かな。ゲームって楽しむものでしょ?」
「遊び……ですか」
「………あれ? 期待していた答えと違った?」
「いえ、そんなことはありません。そうですよね。ゲームは楽しむもの。楽しむもの……」
「もちろん向き不向きがあるから、人によって楽しめるゲームと楽しめないゲームがあるけどね。出来の悪いゲームは楽しむ以前の問題だし、ルールが理解できていないと、ゲーム自体遊べないし」
「楽しめないゲーム……ですか」
「ゲームの楽しみ方もいろいろだよ。例えば、スポーツの試合とかもゲームって言うけどさ、試合に参加して楽しむ人もいれば、試合を観戦して楽しむ人もいるわけだし」
「ゲームには二通りの参加方法があるということですか?」
「参加方法という意味なら……もう一つ、審判として参加するってのもあるよ。ゲーム自体は審判抜きでもできるけど、ゲームのルールを第三者の視点で公正に適用しようと思ったら必要になる。特にスポーツとかで正式な試合をするときには必須だね。参加選手だと判断できないジャッジが求められることもあるから」
「正式な試合……つまり真剣勝負ですか。遊びなのに真剣勝負……。真剣勝負の遊び……」
「テーブルトークRPGの場合だと、審判にあたる存在として『ゲームマスター』がいる。ゲームに対する役割や権力、支配力は、審判以上に強いよ。そのゲームにおいては神様のような存在かな」
「ゲームマスターは神様……。神々を支配する神……」

 ぽっぷちゃんが何を求めているのかわからず、僕は混乱してきた。ゲームのことなんて、わざわざ僕に質問する必要なんてない。ぽっぷちゃんの方が圧倒的に詳しいはずなのだ。するとこれはPCを演じる上で必要なことなのか? 『花の女神クロリス』役を演じるには、花以外のことには無知でないといけない…なんて縛りでもあるのだろうか?

「かずひろさん。もしかして私たちは、ゲームの駒なんでしょうか?」
「え? ど、どういう意味?」
「トランプとは、主にカードゲームをして遊ぶためのものですよね。そしてこの街に捕われた神々は52柱。ジョーカーを除いたトランプと同じ数です。そして私たちは、倒されると力を奪われ、依り代から強制的に分離させられ、神札に……カードに戻ってしまいます」

 ぽっぷちゃんは思いがけないことを語り始めた。いや『クロリス』としての発言か。前もってゲームのシナリオだと把握していなければ電波としか思えないぞ。興味深い設定だが、それにしても、カードの姿に戻ってしまう? ロールプレイではどうやって表現するんだろう? ちょっと見てみたい気もする。

「それでも新たな依り代を見つければ、再び力を取り戻すことはできますが、神札に戻されている間に、いにしえの神の名を冠した札入れに封じられると、二度と復活できません。神札に戻された私たちを封じる札入れは全部で4つ。それぞれ13枚の神札を収納し、封じることができます。これです」

 そう言うと、ぽっぷちゃんは懐からカードケースを取り出し、僕に見せた。手のひらサイズのそれは、表面にスペードのマークがあり、ギリシャ文字で何か書かれていた。ぽっぷちゃんから預かり、カードケースを開くと、中には3枚のカードが入っていた。図柄は3つの頭の蛇、牛人間、そしてよくわからない怪物。名前らしきものも書かれていたが、いずれもギリシャ文字で読めない。いずれも一般に市販されているもののようには思えない。このゲームのために作ったのだろうか。手が込んでいる。僕は「ありがとう」と言いながらカードケースを返すと、ぽっぷちゃんは大切そうに懐にしまった。

「でも、これですと、札入れの空きを全て埋めるためには、52柱全ての神々が封じられなければなりません。誰も生き残れないのです。そんな戦いを続けることにどんな意味があるのか、私には理解できませんでした。ですが……、かずひろさんのおかげで、やっと理解できました」
「それは…もしかして2枚のジョーカーのこと?」
「はい。50柱の神々を倒し、さらにジョーカーにあたる2柱の神を倒し、札入れに封印する。そして残った2柱の神が勝利者となる。それかこの戦いの終了条件なのだと思います」
「2柱の神を選ぶための戦い……」
「そんな風に思えます。ですが、誰が何のために、52柱の神々を選び、さらにその中から2柱を選ぼうとしているのか。何故戦わなければならないのか。私は何も知りません。知っているのは断片的な記憶のみです。覚えているのは、ギリシャ神話で語られている過去と、ぽっぷちゃんに憑依してからの毎日と、この戦いのルールの一部……。それだけです。
 でも私たちが、ゲームマスターによって作られた『ゲェム』の駒だとしたら、いろいろと納得できるんです」

 ゲームの駒じゃなくてPCでしょ? って突っ込みはおいておくとして……。ゲームの中で自分はゲームの駒ではないかと思い悩む女神様…。劇中劇ならぬ、ゲーム中ゲームか。何ともややこしいシナリオだな。 

「つまり…『クロリス』ちゃんたちは誰とも知らぬゲームマスターによって生み出され、中途半端に記憶を植え付けられて、ギリシャの神々だと思い込まされていたってこと?」
「はい。かずひろさんのおっしゃる通りです」
「う〜〜ん。まあ、なんと言いますか。そもそも今日初めて会った僕は『クロリス』ちゃんが女神なのかどうかすら、わからないわけで」
「うっ……。それもそうですね」
「まあ、その件はいったんおいておくとして、ところでギリシャ神話の神様ってどうやって生まれたの?」
「人間と同じですよ。いくつかの例外を除けば、いずれもお父さんやお母さんがいます。私はもともとニュンペーですから、名も無き親の記録なんて残ってませんが、ゼピュロスのお父様は星空の神アストライオス。お母様は暁の女神エオスです。有名な神様でしたら、家系図が作れるくらいはっきりしていますよ」
「家系図が作れるってすごいね。家系図か……。じゃあ、家系図の一番上にいるのはなんて神様?」
「名前だけなら誰でも知っています。原初神『カオス』です」
「ホントだ。僕も聞いたことある。混沌って意味だよね。ギリシャ神話が元ネタだったんだ」
「ですが、『カオス』に会ったことのある神はほとんどいません。大地の女神ガイア、奈落の神タルタロス、冥府の神エレボス、夜の女神ニュクスを生み出した後、表舞台から姿を消しましたから」
「なるほどね……。思うんだけどさ、『クロリス』ちゃんたちの戦いがゲームだとして、ゲームマスターによって仕組まれたんだとしたら、ゲームマスターの正体もやっぱりギリシャ神話の神様なんじゃないかな。つまり、この生き残りゲームを仕掛けたのは…」
「カオス…」
「あくまで仮定の話だからね。裏付けなんて何一つないんだから」
「はい。それはわかっています。でも……確かにそれならつじつまが…」

 そう言うと、ぽっぷちゃんは再び考え込んでしまった。もしかしたら、壮大なスケールの物語の根幹に関わる問題に触れてしまったのだろうか。考察するのは面白いが、どんなに考え込んだところで、裏付けられる証拠は何もないし、今進行中の逃避行シナリオとは全く関係なかったりするんだよな。
 とにかく目の前の危機に対応しなければ。僕は『ポセイドン』らしき人物がいないか見回した後、何気なくホームとホームの屋根の隙間から空を見上げる。すると薄暗くなりかけていた空に何かが浮かんでいた。飛行機じゃない。飛行船でもない。風船か何かだろうか。でも、なんだか、人の姿をしているような……。

 まさか、……フライングヒューマノイド!?

 そう気づいた瞬間、ホームに電車が入ってきて空が見えなくなる。窓際に駆け寄って確かめようにも、電車の中は満員で、みたところ、乗車するのがやっとだった。


Scene4◆匂い

 僕とぽっぷちゃんは、学生たちがあふれかえる電車に乗り込んだ。朝の通勤通学ラッシュに比べれば十分に余裕があるのだろうが、普段から電車を利用していない僕には、見ているだけで息が詰まりそうだった。ぽっぷちゃんも気持ちは同じだったようで、「まるで奴隷か家畜になったみたいです」と乗り込むことに躊躇していた。
 乗車客が多いせいで、僕たちが独占できる空間はわずかしかなく、結果的に、きわめて自然な形で、ぽっぷちゃんに急接近することとなる。もちろんぽっぷちゃんの側にいられることは、この上ない喜びだ。しかし、単純に喜んでもいられない。日常生活ではあり得ない、体に触れるか触れないかのギリギリの距離まで接近しているのだ。それこそ、互いの匂いが判るくらい側まで……。
 だからこそ、僕はこの場を逃げ出したい衝動に駆られる。自分の体臭がぽっぷちゃんに不快感を与え、嫌われてしまうのではないかと、不安で不安でならなかったのだ。

「一駅分…。時間は5分くらいですよね…。それくらいなら我慢できます。乗りましょう、かずひろさん」

 僕はいたたまれない気持ちだったが、だからといって逃げ出す訳にもいかない。僕とぽっぷちゃんは勇気を振り絞り、電車に乗り込んだ。最後に乗り込んだこともあり、ドアの手前に陣取ることとなる。次の駅で降りるのだから、むしろ好都合だ。
 ぽっぷちゃんはドアの窓から見える風景を、まるで初めて見る光景のように興味深げに眺めていた。僕の視線は……言うまでもないと思うが、ずっとぽっぷちゃんに向けられている。ぽっぷちゃんが頭を動かす度に、長くて柔らかそうな髪が揺れ、僕の鼻先に匂いを漂わせる。とても良い匂いだ。優しくて穏やかで、僕から不安な気持ちをぬぐい去る。まるでアロマテラピーのように、僕のストレスを解消し心身をリラックスさせてくれる、不思議な不思議な花の香りだった。
 それにしてもこの匂いは何だろう。アンズのような気もするがはっきりしない。ぽっぷちゃん自身の匂い……ってことはないよな。じゃあ、フローラル系の香水かな? いや、香水は校則の緩い美空中でも禁止されているくらいだから、お嬢様学校のカレ女でも御法度だろう。きっとあんず油入りのヘアオイルかシャンプーを使っているのだ。もしかしてこの匂いも、花の女神を演じるために用意したのだろうか?
 ……ん? フローラル?

「そういえば、花の女神の名前って『フローラ』じゃなかったっけ?」

 そう問うと、ぽっぷちゃんは振り返り、僕を見つめる。上目遣いのぽっぷちゃんは、なんだか不機嫌そうな顔をしていた。具体的に言うと膨れっ面というやつだ。これがまた激烈にかわいくて、ときめいてしまうのだが………あれ? もしかして僕、地雷を踏んでしまったのか?

「それは……ローマ神話です!」
「あ…えっと…。なんというか……ごめんなさい」

 ぽっぷちゃん演じる『クロリス』は、うつむくと、そのまま黙ってしまった。
 ちなみにフローラルとは「花のような」という意味。フローラル系の香水とは、すなわち「花のような匂いの香水」と言う意味なのだろう。で、ゲームやアニメで時々見かける名前だし、もしやと思ったのだが、別の神話にも花の女神がいたとは思いもよらなかった。僕は『クロリス』ちゃんの心を傷つけてしまったらしい。
 ちなみに『フローラ』を日本的な名前に訳すなら、『花子』かな? ……そういえば昔、ぽっぷちゃんの知り合いにハナちゃんって人がいたな。あれ? ハナちゃんって、年下の子だっけ? 年上のお姉さんだっけ? どっちだろう。まさか同じ名前の人が2人いたとも思えないし……。思い出せないのが気持ち悪くて、ぽっぷちゃんに聞いてみたのだが、『クロリス』役に徹しているぽっぷちゃんが答えてくれるはずもなかった。いぢわるだなぁ。


Scene5◆神話

 隣駅に着いた僕たちは、東口の改札を出て、美空高原行きのバス停に並んだ。一緒に並んでいるのは、美空高校の制服を着た学生や、買い物帰りの主婦らしき中年女性。サラリーマンらしき初老の男性などなど。『ポセイドン』の可能性がありそうな人は2〜3人いるが、他の神々を演じるプレイヤーがいる可能性が出てきた時点で、用心は無意味なものとなっていた。
 ぽっぷちゃんはあの後ずっと黙り込んだままで、話しかけても曖昧な相づちしかうってくれない。仕方なく僕は、フライングヒューマノイドが再び現れないかと空を見上げていた。日はだいぶ落ちてきていて、燃えるような夕暮れは星空へと代わりつつある。その時だ。ビルとビルの狭間に見える遠くの空が発光し、虹色のカーテンが東の空に爆発的に広がってゆく。それは最近、美空市で頻発する怪現象、『オーロラ爆発』だった。学校でも以前から話題になっていたが、僕は見るのが初めてだった。
 フライングヒューマノイドにオーロラ爆発……。今日はどうなってるんだ? 立て続けに怪異に遭遇してるよ。クトゥルフTRPGだったら、連続のSAN値チェックで一時的な発狂状態に陥っていてもおかしくはない。もっとも、オーロラ爆発に関しては目撃者も多数いるし危険もない。むしろ神々しさでSAN値が回復しそうだ。

「見てよ『クロリス』ちゃん。オーロラだよ!」

 ぽっぷちゃんは僕の指差す方角を見る。

「オーロラ……ですか……。『オーロラ』とは、ローマ神話の暁の女神『アウローラ』の英語読みです。きっと英語圏の気象学者が、名前をつけるときにローマ神話を参考にしたのでしょうね」
「へえ〜。……もしかしたら、ギリシャ神話にも暁の女神はいる?」
「はい。『エオス』という名前です」

 オーロラの名前の由来ってローマ神話だったのか。まずい、もしかしたらまた『クロリス』ちゃんの地雷を踏んでしまったのかな?……と思っていたら、ぽっぷちゃんから積極的に話しかけてきた。

「かずひろさん、先ほどはごめんなさい。つい、感情的になってしまいました」
「あ…いや、僕の方こそごめん。全く違う神話の女神と間違えられたら、嬉しくないに決まってるよね」
「いえ……その……。全く違う神話……という訳でもないのです。私が『フローラ』と呼ばれているのも事実ですから」
「へ? ………それって、どゆこと? 『フローラ』ってローマ神話の女神なんでしょう? でもって『クロリス』ちゃんはギリシャ神話の女神様だよね?」
「そのことについては説明させてください。話せば長くなりますけれど、なるべく簡潔にまとめるようにしますから。…聞いていただけますか?」

 バス停の時刻表によると、バスはあと5分ほどで到着する予定だが、電車とは違い、道路が込み入ったりすると遅れることもある。ぽっぷちゃんの話がとんでもなく長くならない限り、大丈夫だろう。それにもし話が終わる前にバスが来ても、美空高原は終点だから乗り過ごす心配もない。僕が「問題ない」と答えると、

「そもそも神話とは何かと申しますと、神様の物語です。日本神話が日本の神々の物語であるように、ギリシャ神話は古代ギリシャの神々の物語です」
「うん。判るよ。だからローマ神話は……、ローマはイタリアの首都だから、イタリアの神々の物語なんだよね」
「それが……間違ってはいないのですが、正しいとも言えません。古代ローマの神々には神話が無かったのです」
「え?」
「…いえ、本当は独自の神話があったのだと思います。ですが、隣国だったせいか、ギリシャ神話に深く影響を受けてしまったみたいなのです。そのせいで、古代ローマ独自の神話の多くは現在に伝わっていません。もっとも、二千年以上昔の神話が今なお残されている事自体が、奇跡とも言えるのですが」
「ああ、たしかにギリシャとイタリアは海を隔てた隣の国って感じだね。それにしてもクトゥルフ神話みたいなフィクションじゃなくて、二千年以上前から語り継がれているリアル神話なのか。ギリシャ神話ってすごいね」
「……そうですね」

 ぽっぷちゃん演じる『クロリス』は寂しそうに微笑む。

「でも、ギリシャ神話にしろ、ローマ神話にしろ、現在に残されているのは、神々の物語と神話を題材にしたいくつかの美術品のみです。そのおかげで私たちは神々として人の心に生き残ることができたのですが、宗教としてはもう立ち直れません。人々の信仰は完全に潰えてしまいましたから」
「そうか……。でもしょうがないんじゃないかな。神話なんて神様を題材にした物語にすぎないんだしさ。日本神話だってそうだし」
「…………あなたは、何を言っているのですか? 日本神話の神々は今でも信仰の対象ではありませんか」
「へ?????????」

 僕は素で驚いた。神話が日本で信仰の対象になってる? 日本って仏教国じゃなかったっけ?

「例えば………伊勢神宮ってご存知ですか? 日本神話の太陽神として有名な、天照大神(アマテラスオオミカミ)が祀られているのですよ」
「え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!
 あのゲームの『大神』で有名なアマテラスって信仰されてたの!?
 っていうか、神社って日本神話の神様も祀られていたんだ。初めて知った
「そのゲームキャラクターは天照大神をモデルにしただけですっ。ゲームと神話をごちゃ混ぜにしてはだめですよっ。それにしても、かずひろさんって日本人なんでしょう? どうしてご存じないんですか! それくらい知っていてくださいよ〜〜〜! 日本の神様が泣いちゃいますよ!(TT)」

「す、すみません…」

 神様を代弁するぽっぷちゃんに涙目で説教されてしまった。『クロリス』はギリシャ神話の女神なのに、どうして怒るのだろう? 人ごとじゃないから? でも、他の宗教の神様って、つまり異教でしょ? 敵じゃないのかな…。


Scene6◆ギリシャとローマ

「あれ? ………そう言えば私、何のお話をしていたのでしたっけ?」
「え? 日本が『宣教師の墓場』って言われているって話? それとも日本にはトイレの女神様がいて、しかもすごい美人らしいって話? 学問の神様として祀られている菅原道真が、かつては怨霊だったって話? 『モノリス大明神』はすっごく面白かったけど」
「いえ、それよりもっと前の……バス停でバスを待っていたくらいの時です。私、なにか大切な話をしようとしていたような気がするのですが……」
「そういえば…ローマ神話がどうとか…」
「ああ! そうでした! ローマ神話です!」

 日本人なのに日本の神様を知らないなんてっ! と、怒り心頭の『クロリス』ちゃん(これがまたモーレツにかわいかったりするのだが)は、バスの待ち時間を利用して、日本の様々な神様や宗教にまつわる話を熱弁しはじめた。宗教といっても堅苦しい話ばかりではなく、面白い話や不思議な話と多岐にわたっていた。何故ギリシャ神話の女神が日本の宗教事情に詳しいのか、疑問になるほどに。
 だけど、きっとぽっぷちゃんなりに考えがあってロールプレイしているのだろう。僕は野暮なツッコミはせず、聞き役に徹する。そのせいもあって、『クロリス』ちゃんの宗教談義はバスに乗っても終わらず、バスの移動も退屈することも無く、気がつけば、車窓から見える風景は夜の闇に支配されていた。わずかに街灯が照らす山道と、遠くに見える街の灯火が見えるばかりである。トラブルが無ければ10分ほどで美空高原に着くだろうか。
 帰宅する学生であふれかえっていたバスも、気がつけば乗客は僕と『クロリス』を演じるぽっぷちゃんだけだった。この先に住宅地は無い。美空高原は避暑地だし景色も良いので、週末や連休や夏休みなら宿泊客もいるが、今は春先の平日だ。この先にはほとんど人はいない。逆に考えると、人の迷惑を考えること無く、かつ邪魔を心配すること無く、のびのびとゲームプレイを続けられるということだ。
 美空高原にたどり着けば、何かしらのイベントが始まる。……となれば、ぽっぷちゃんとのんびりできるのはバスに乗っている今だけなんだろうな…。まあいいや。今は今を楽しもう。

「ローマ神話とは……簡単に言いますと、ローマの神々にギリシャ神話の物語を当てはめたものです。……そうですね。話の筋は同じですけど、役者を代えて新作を追加するようなアレンジ…。例えるなら、ギリシャ神話がスーパー戦隊なら、ローマ神話は『パワーレンジャー』なんです!」
「その例え、すっごく判りやすいよっ!」
「ですが、ギリシャは国力が弱まり、ローマ帝国に併合されました。ローマ帝国は一度はヨーロッパ中に勢力を拡大した大帝国ですから、オリジナルのギリシャの神よりも、アレンジの入ったローマの神の方が有名になってしまいました。原作よりもアニメが有名になってしまった『ルパン三世』みたいな感じです」
「それはまた判りやすい例えだね!」
「ギリシャの神の物語を同一視できる神に当てはめる訳ですから、ローマに同じような神がいない場合、一柱の神に二柱の神の物語が当てはめられてしまう…なんてこともあります。まあ、二千年以上前のお話ですから、矛盾や諸説出てくるのは仕方の無いことなのですが……私の物語だけ、ちょっと変なんです」
「……というと?」
「私は元々花のニュンペー…すなわち、妖精でした。そんな私が花の女神になれたのは、全てゼピュロスの力添えと後ろ盾があればこそ。ゼピュロスが私を妻にめとり、地位と能力をくださったから花の女神になりました。ここまではギリシャ神話と同じです。
 ところがローマ神話では、女神となる際、私は『クロリス』から『フローラ』に名前を改名したってことになっているんですよ!」
「………つまり、ローマ神話的には『クロリス』と『フローラ』は同一人物ってこと? 中の人が同じ……。つまりジュウレンジャーの魔女パンドーラは、パワーレンジャーでは魔女リタって名前で登場するけど、曽我町子さんの映像がそのまま使われたので、アメリカのちびっ子も曽我町子さんの顔を知っている、みたいな……」
「う〜ん、ちょっと例えがマニアックで判りにくいですし、ちょっと違いかも…」
「……サーセン(^^;」
「私の名前が『フローラ』の幼名のような扱いにされてしまったせいで『クロリス』は知名度が低くなり、花の女神は『フローラ』ばかりが有名になってしまいました。私、単体ではウィキペディアにすら載っていないんですよ!」
「そ、そうなんだ…」
「ですから私、ローマ神話のこと、どうしても好きになれないんです。………あ、あれ? 大事な話かと思ったら、とても個人的なお話でしたね。ただの愚痴に付き合いさせてしまってごめんなさい」
「いやいや、女神様だっていろいろあるでしょ。愚痴だってこぼしたくなるよ。……って、あれ?」
「どうしました?」
「旦那様のゼピュロスって、ギリシャ神話の神様だよね? ローマ神話でゼピュロスにあたる西風の神様ってなんて名前?」
「ファウォーニウスに対応しています」
「でも、ローマ神話でも、クロリス&フローラが結婚したのってゼピュロスなんだよね?」
「え? あ、あれ? ………そういえば、そうです」
「ゼピュロスとファウォーニウスが同じ神様なのか、それとも別神なのかはおいておくとして、ローマ神話でもゼピュロスが登場するって、どういうことなんだろう? もしかしたらゼピュロスって、ローマ帝国でも大人気の神様だったんじゃない?」
「あ…」
「だからローマの人たちは、自国の西風の神を差し置いてでも、ゼピュロスをローマ神話に出したかった。でも、ゼピュロスの奥さんは『クロリス』ちゃんだけだから、『クロリス』ちゃんと『フローラ』を同一神物にすることで、つじつま合わせをしたんじゃないかなぁ」

 でも、これだと、『クロリス』ちゃんがマイナーなのは『フローラ』のせいではなく、旦那であるゼピュロスのせいってことになるけど……、ぽっぷちゃんどんな解釈をするのかな?

「えへへ♪」

 あ、デレた!
 ぽっぷちゃん演じる『クロリス』は、よっぽど嬉しかったのか、抱いていた『ゼピュロス』役のぬいぐるみに、ほっぺたスリスリし始める。なるほど。自分のことより夫の方が大切ってロールプレイか。

「ローマ神話でもゼピュロスを信仰するための改変……。そんな可能性があったのですね。気づきませんでした。かずひろさん。指摘してくださってありがとうございます。これからは『フローラ』って呼ばれても我慢することにしますね」
「『クロリス』ちゃんって、ゼピュロスのことが本当に好きなんだね」
「はい。心より愛しています。私に全てを与えてくださった、大切な大切な旦那様ですから。……でも、馴れ初めは最悪だったんですよ♪」

 そう言うと、ぽっぷちゃんは苦笑いをうかべ、それ以上は何も語ってくれなかった。
 女の子が口を濁すような状況っていうと、もしかして出会い頭に激突して倒れた拍子におっぱい触られました〜〜とか、着替えを覗かれました〜〜とか、そう言ったラブコメ少年漫画やらギャルゲにありがちな出会いでもしたのかな? あとでネットで調べてみるか……。


Scene7◆美空高原

「匂います。たくさんのお花の匂い。私の世界です。もうじきお花畑にたどり着けるんですね…」

 バスの窓を開けたぽっぷちゃんは、窓から入る風にあたりながらそうつぶやいた。つられた僕も、窓から見える景色を見る。そこには鮮やかな色の花畑が広がって見えるはずだが、すでに夜の闇が支配していて、何も見えなかった。夜なら夜で星空が輝いて見えるはずだが、あいにくの曇り空だった。

 美空市の軽井沢などとも呼ばれる美空高原だが、リゾート地としての知名度は低い。玉木家や藤原家など美空市の名だたるお金持ちの別荘があるため、防犯上の理由から意図的に宣伝を避けているのかもしれない。結果的に玄人好みの穴場リゾートとなっている。
 一番の見所である花畑には、有料エリアと無料エリアがある。
 有料エリアはバス停のすぐ側にあり、4つの季節を再現した温室に様々な花が咲き乱れている。
 無料エリアはバス停から離れた場所にあるが、10万平方メートルの敷地を四季折々の花々で埋め尽くされている。春先の今は、一面に広がる菜の花やチューリップなどであふれているはずだ。
 文明からはなれ大自然を楽しもうという趣旨のもと、広大な花畑には一般客の車の乗り入れが禁止されている。気軽に歩いて回れるような広さではないので、無料エリアに向かう人の多くは、レンタルコーナーで自転車を借りることになる。

「かずひろさん。私をここまで連れてきてくださって、本当にありがとうございました。おかげで迷うこともトラブルに合うことも無く、お花畑の近くまでやって来れました。それに、ここに来るまでの間、ずっと話を聞いてくれて嬉しかったです。人とあんなにたくさんお話ししたのは生まれて初めてで、とても楽しかったです。本当に、本当に、ありがとうございました」

 バスを降りたぽっぷちゃんは、突然僕に深々と頭を下げた。まるでお別れをするかのように……。え? 

「ですけど、すっかり暗くなってしまいました。この先に人はほとんどいないでしょうし、間違いなく、神々や怪物に襲われる危険が増していきます。これ以上あなたに頼ってはいけない気がするのです」
「そりゃあ確かに門限的な意味では、帰りのバスを逃すのはすごく不味いけど…」
「でしたら、私に構わずお帰りになってください」
「いやいやいや。確かにゲームの展開としては、この先に危険が待っていることは間違いないだろうけどさ。プレイヤーとしてはどんな形で決着が付けられるのか見届けたいじゃない。それにリアルでぽっぷちゃんを、こんな場所に置いて帰れる訳無いし。ここで一人帰るなんて選択肢は、どう考えてもあり得ないから。それとも、僕がいると……迷惑なのかな」
「いいえ! そんなことはありません! かずひろさんがいてくださった方が何倍も心強いです。ですけど、ここから先は、命に関わるかもしれないのです。それにもう、お花畑まで目と鼻の先ですし」
「たしかに繁華街と比べたら目と鼻の先だけど、歩きでもまだ10分くらいかかるよ」
「え? でも、自転車のレンタルがありますし…」
「いや、お店関係は18時で全部営業終了するから利用できないよ。ほら、パンフレットにも書いてあるでしょ?」

 ぽっぷちゃんはバスで配布されていた美空高原のパンフレットを食い入るように見つめ、事実を確認すると、何かの冗談かと思うくらいのガチ震えをしながら、引きつった笑顔でこう答えた。

「だ、ダ、だ、ダイジョブです。な、なンとかシますかラ……」

 なんて迫真のロールプレイなんだ! 本当に怖がっているとしか見えないぞ! ぽっぷちゃん、今からでも女優でやっていけるんじゃないだろうか? しかもおびえっぷりがまたかわいい!! おまけに、これまでぽっぷちゃんが見せたことの無いような表情を次々と見せてくれるんだもの。こんなところで帰れる訳が無い。

★  ★  ★

「本当に、本当にごめんなさい。もう大丈夫ですって言ったばかりなのに、結局頼ってしまうなんて…」
「そんなこと気にしなくていいよ」

 花畑無料エリアまでの道は、街灯も少なく暗かった。照明代わりに使えそうなのは、携帯のディスプレイくらいしかない。月明かりでもあればずいぶんと違ってくるのだが。こんなところを一人で歩くとしたら、普通の女の子なら怖くてしょうがないだろうな。
もっとも、ぽっぷちゃんがこんなことで怖がる訳が無い。今ぽっぷちゃんが怖がっているのは、『クロリス』のロールプレイをしているからだ。そう言う意味では、僕があのままバスで帰っても何ら問題は無かったと言える。今僕がここに留まっているのは、少しでも長くぽっぷちゃんの側にいたいという願望と、このゲームのシナリオの結末を知りたいという好奇心からだ。
 僕は歩きながらぽっぷちゃんに質問する。

「ところで『クロリス』ちゃん、花畑にたどり着いたらどうなるの? いくら花の女神だからって、『オードリ−2』や『ビオランテ』みたいな花の怪物を召還できるわけじゃないだろうし、『木の葉を隠すなら森の中』ってやつ?」
「そうですね……。確かに私でしたら、隠れるどころか、花々と同化して存在すら消し去ることもできるかもしれません。ですがそれだけですと、花畑を丸ごと焼き払われたらおしまいです。10万平方メートル程度の花畑では、大した時間稼ぎにもなりません」
「10万平方メートル程度って、日本一ではないにせよ、かなりの広さだと思うけど……。つまり、敵はそれだけヤバい力を持ってる『設定』なんだね。まあ、神様なんだから当然かぁ」
「………」

 おおっと、イカンイカン。またうっかりメタ発言をして、ぽっぷちゃんに微妙な表情をさせてしまった。気をつけてロールプレイしなければ。それにしても、神様の能力ってどうやってロールプレイで表現するのかな。思わせぶりな表現にとどめて心理戦をするのだろうか。

「だからと言って、花畑に来たことが全くの無意味ってわけでは無いんだよね?」
「はい。反撃とまではいきませんが、身を守る程度のことでしたら、なんとか。きっとかずひろさんも一緒に守れると思います。でも、何をするかはお話しできません。私にとっては唯一の切り札ですから……」

 ぽっぷちゃん演じる『クロリス』は、それ以上のことは語らなかった。花をモチーフに護身用の武器を作るとして、何があるだろう。バラのツタを使ったトゲトゲのムチとかかな? う〜ん。わからん。もしかしたら、ぽっぷちゃんも具体的なアイデアを考えていないのかもしれないな。

「どのみち、花畑にいた方がいいんだよね。じゃあ、走ろうか」

 そう言うと僕は走ったが、慢性的な運動不足な上に肥満気味な僕の決意がくだけるのに、一分と保たなかった。

「本当に、本当にごめんなさい。走ろうって言ったの僕なのに、ムリゲーでした……(><)」
「そんなこと気にしなくていいですよ(^^)」

 息を切らし、横腹を押さえながら走ろうとする僕をよそに、 スポーツ万能のぽっぷちゃんは軽い足取りで、僕の歩幅に合わせて歩いてくれていた。ううっ、立場が逆転してるよぅ。かっこ悪っ。

 ところで……。
 ゲームのシナリオ的に考えると、このまま逃げ仰せられるわけがない。『ポセイドン』は必ず僕たちの前に現れて一波乱起こすはずだ。問題はいつどのタイミングで現れるか? だったが、目的地はもう目と鼻の先だし、時間的に考えてもクライマックスは目前だ。このタイミングを逃すはずが無い。現れるのは花畑にたどり着く直前。希望を打ち砕くように立ちふさがるに違いない。
 …っていうか、ここに『クロリス』が来ることは、シナリオの段階で最初から確定していたんじゃないだろうか。来る場所が分かっているなら、追いかけるより待ち伏せていた方が確実だ。『ポセイドン』役のプレイヤーは、ここで待ち伏せ……というより、出待ちしている状況なのかもしれない。
 そう思った矢先、僕は道の先に黒い人影があることに気づいた。


Scene8◆もう一人のプレイヤー

 人影に気づいた僕たちは足を止めた。花畑まで百メートルほど手前だろうか。遠くの街灯が逆行となって顔は見えないが、背格好からして成人男性だとわかる。一般客? 花畑の管理人? いやいや、タイミングを見計らったように現れたのだ。可能性は一つしか無い。僕が声をかけて確かめようとすると、先に人影が僕の確信を裏付けた。

「どこに行こうというのかね? クロリス」

 ええっと、それってもしかして、カリオストロ伯爵のセリフのパロディっすか?

 その時、絶妙なタイミングで曇り空から月が顔を出し、真っ暗な人影を照らし出す。現れたのは黒いスーツを着た体格の良い男性。そして何よりの特徴は、カニを模した仮面をかぶっていたことだった。ぽっぷちゃんが話した特徴そのままだ。海王伸『ポセイドン』に間違いない。正確には『ポセイドン』役を演じているプレイヤーだが。
 ……………。
 な、なるほど。これは人前に出られないな。特撮ヒーローものの撮影とでも言わなければ、こんな恥ずかしい仮面を繁華街ではかぶれない。これまで登場しなかったのもうなずける。
 ぽっぷちゃんをみると、これがまたすごい怯えっぷりだった。僕には変なおじさんにしか見えなかったが、とてつもない力を持った神様という設定なのだから、正しいロールプレイなのだろう。それでは僕はどうすればいいのかな? ぽっぷちゃんのように怯える演技をすればいいのだろうか? いや、それはおかしいか。何も知らない一般人として物語に関わっているのだし、神様の存在にも疑心暗鬼になっているのだ。まずは、疑うところから始めてみようかな。
 …というわけで、ひとまず僕は問いかけてみることにする。

「えっと…もしかして『ポセイドン』さんでしょうか?」
「いかにも、我は海王伸ポセイドン。ところで君は……見たところ一般市民のようだが、『クロリス』とはどのような関係なのかね?」
「あ、はい。ぽっぷちゃんの幼なじみです。……えっと、『クロリス』ちゃんとは初対面ですけど」
「なるほど。『クロリス』がどうやって一般人を懐柔したのか、ずっと気になっていたのだが、ようやく納得したよ」

 どうやら話の通じる人物という設定のようだ。僕は「ぽっぷちゃんとはどのような関係ですか?」と聞きたくなったが、それではロールプレイではなくなってしまうことに気づき、こんな風に質問することにする。

「あなたはどうして『クロリス』ちゃんを付け狙うんですか?」
「それは心外だな。私は護身方法を持たない『クロリス』を、他の神々に襲われないよう護っていたのだよ」

 思いもよらぬ返事だった。狙っていたのではなく護っていた? 僕は僕の背中に隠れているぽっぷちゃんをみるが、ロールプレイに変化は無い。『クロリス』ちゃんは間違いなく『ポセイドン』に怯えているのだ。

「そんなの嘘です! だって、あなたは私のゼピュロスに酷いことをしたじゃないですか! ゼピュロスは今もまだ目を覚まさないんですよ!」
「西風が私をいらだたせたのでね、軽くお仕置きしただけだ。それにプリキュアなら、我が必殺の三叉槍(トリアイナ)を食らっても、気を失うだけだと判っていたのでね」

 突然、『ポセイドン』の口から妙なキーワードがこぼれ出る。プリキュア? それってギリシャ神話と関係あるの?

「それにしても西風が未だに目を覚まさないとはな。『クロリス』を護るために全てのダメージを一身に受け止めたということか。すばらしき夫婦愛じゃないか。感動的だな。……いやいやいや、私は『だが無意味だ』などとは言わないぞ」

 僕は『ポセイドン』と『クロリス』の顔を交互に見ながら混乱していた。『ポセイドン』の言っていることが本当なら、逃亡する必要は無いのかもしれない。だけど、『クロリス』ちゃんの怯えっぷりは尋常ではない。それだけ酷い目にあわされたということだろう。つまり『ポセイドン』が本当のことを言っていたとしても、鵜呑みにはできないということだ。となれば、当初の予定通り『クロリス』ちゃんを花園へたどり着かせるべきだろう。その場合、僕のするべきロールプレイは………よし。決めた!
 僕はぽっぷちゃんに耳打ちする。

「ここは僕がなんとかするから、『クロリス』ちゃんは花園に走るんだよ」
「え? それって……」
「早く走って!」
「は、はい!」

 ぽっぷちゃんが走り出すのを見届けると、僕は『ポセイドン』にヤッとしがみついた。我が身を犠牲にすることで『クロリス』ちゃんを花園に逃す。正解かどうかは判らないし、抱きついているみたいでヤな感じだが、これ以外のロールプレイは考えつかなかったのだ。ぽっぷちゃんは花園へ向かって走り続け、もうじきたどり着くだろう。さて、『ポセイドン』の人はどんなロールプレイを始めるのかな? 

「…………。ところで君、かずひろくん……だったかな?」
「え? あ、はい」

 あれ? 僕、この人の前で名前を言ったっけ?

「君が私に抗おうとしているのは判るよ。だけど、どうも君の言動には真剣味が感じられないのだが…」「す、すみません。ここまで迫真のロールプレイを求められたのは、初めてなものですから」
「ロール……プレイ?」
「あ、メタ発言は厳禁ですね。すみません」

 どうもいかんな。どうしても自分の言動が滑稽に思えて、なかなかロールプレイに徹することができない。

「………………メタ発言ついでに質問させてもらうが、君はTRPGに興味はあるのかい?」
「クトゥルフ神話TRPGでしたら大好物です!」
「なるほど、そういうことか。……ぽっぷ君も良い友達を持ったな」
「あはは、ありがとうございます」

 何やら腑に落ちたのか、『ポセイドン』の人は楽しそうに話を続ける。

「まあメタ話はそれくらいにして、ロールプレイに戻るとしようかな。
 我は海王伸ポセイドン。我が領域である蒼海での戦いならば無敵だが、陸上ではその限りではない。しかし君のPCはただの一般人だ。圧倒的な我が力に抗うことなど到底不可能。ここまでは良いかね?」
「えっと……。一般人とは仮の姿で、実は僕もギリシャの神の一人だった……って言うのはダメでしょうか」
「はっはっはっ♪ 面白いことを言うじゃないか。もちろんそのようなロールプレイをしてもいっこうに構わない。ただし、君がギリシャの神々を演じきれるほど詳しいことが前提になるが」
「……ごめんなさい。無理でした。ギリシャ神話全然知りません(><)」
「それは残念。ギリシャ神話もなかなか面白いのだぞ。ドロドロの愛憎劇は中学生にはきついかもしれないが、英雄や冒険もあるし、冒涜的な神話生物だってたくさん出てくる。興味が出てきたら図書館で調べてみるといい。《ギリシャ神話技能》が増えたくらいじゃSAN値は下がらないしな」
「あははっ、わかりました」
「ではロールプレイを続けるぞ。
 我は海王伸ポセイドン。我を海王伸と知って立ちふさがる君の勇気には敬意を表すが、君の行動は全くの無意味だ。しかし私には、一般人を抹殺する気などさらさら無い。これ以上関わらせないためにも、君には家に帰るよう促すが、君は今更帰ったりはしないだろうな」
「そりゃあ、ここまで来たのですから、このシナリオの結末が見たいです」
「一方で私は、『クロリス』はこんな人里離れた高原まで来て何をしようとしていたのか、気になってる。『木の葉を隠すなら森の中』の発想から、花の女神が身を隠すには花園が一番というのは判る。しかし隠れるだけでは、花園が焼き払われればおしまいだ。本当に隠れるだけのためにわざわざ来たのだろうか? 何か意図があるのだとしたら、それを見てみたい。これは結末を見たいと望む君と同じく、私の純粋な好奇心だ。
 そこで私は君を見ながら考える。
彼女の真意を確かめるためにも、君を人質として利用するべきではないか、とね」
「ああ〜、僕って思いっきり『クロリス』ちゃんの足手まといなんですね」
「そうでもないさ。彼女が無事に花園にたどり着けたのは、間違いなく君のおかげだからね。それにか弱い女の子だ。我が身かわいさに君を見捨てるかもしれないぞ。それと、君には申し訳ないが……」
「はい?」
「人質は生きてさえいれば、意識がある必要は無いのだよ。ここで退場してくれたまえ」

 その瞬間、後頭部に激痛が走り、目の前が真っ暗になると、僕は何も判らなくなってしまった。


Scene9◆花狂い

 もうろうとしていた僕は、夜空を見上げていた。月がまぶしいくらいに輝いていて、とてもきれいだ。
 何か小さいものが月の周りを規則正しく整列して、時計回りに飛んでいる。まるでプレイヤーで回転するレコードのようだった。あれはなんだろう?
 僕の周りにはたくさんの花々が咲き誇り、月をつかもうとしているかのように背伸びをしていた。不思議なことにどの花も僕より背が高かった。大きな花に囲まれているのだろうか? それとも僕が小さくなってしまったのだろうか? ……ああ、なんだ。僕が横たわっていただけか。ビックリした。
 どうやら僕は、柔らかくて心地よい何かを枕にして、花畑に横たわり、夜空に上る月を見ているらしい。だけど、いったい何を枕にしているんだ? 気になった僕は、手で触れて確かめてみる。短めの布はシーツだろうか? それとも枕カバー? そしてそのしたにある柔らかいものは、人肌のぬくもりを持った…ぬくもりを持った………、人の……肌????

「あ、あまり……触らないでください…」

 ぽっぷちゃんの声だ。声のする方角を見ると、ぽっぷちゃんが困った顔をして僕を見つめている。だけど何かがおかしい。ぽっぷちゃんの顔が逆さまなのだ。これっていったいどういうこと? 状況を理解しようと必死に頭を働かせた結果、僕は一つの結論に至る。

 ぽっ、ぽっ、ぽっ、ぽぷたんに、膝枕してもらってるぅぅぅ!!!!

 絵的によくある、横から寝転んで耳かきしてもらうような形ではなく、『花の慶次』のように正面から頭をのせてもらう方だ。動揺した僕はあわてて起き上がろうとする。しかし、後頭部の激痛と慢性的な運動不足から、腹筋に力が入れられず、僕の頭は再びぽっぷちゃんの膝に沈み込む。

「えっ、あっ、そのっ、ごっ、ごめっ…」

 動揺しすぎて言葉が出ない僕に、ぽっぷちゃんは優しく微笑みかける。その笑顔は正に天使……いや、女神様そのものだった。

「かずひろさん。本当にありがとう。あなたのおかげで無事に花園にたどり着けました。私はもう大丈夫です。ひとりでもゼピュロスを護れます。もう、かずひろさんの手を煩わせることもありません」
「……それじゃあ、……ゲームはクリアできたの?」
「空を見てください。これがあなたの求める答…。これが花園へ来た理由…。花の女神である私のたった一つの切り札。花の匂いで虫を操り身を護る、唯一無二の技。その名も『花狂い』と申します。この技を使うためには、どうしても大きな花園が必要だったのです」

 そう言うと、ぽっぷちゃんも夜空を見上げた。レコードの盤面のように見えるあれが、全部虫だというのだ。空高く飛んでいて羽音は聞こえないが、チョウやガ、ハエやカ、ハチやアブといった、ありとあらゆる空飛ぶ虫が規則正しく群れをなし、花の女神に従っている。1匹1匹の力は弱くても大量の虫だ。襲われれば、たまったものではないだろう。肉体的ダメージが与えられなくても、精神的ダメージは計り知れないだろう。

「切り札は隠しておくべきですけど、あなたにだけはお見せしたかった。それだけが、私があなたにしてあげられる、ただ一つのお礼ですから」
「……誰にも言わないよ。約束する。もっとも、話したところで誰も信じてなんてくれないけどね」
「ありがとう……。だけど、ごめんなさい。あまり長くはお見せできないの」
「そ、そうだね。夜も遅いし、ずっとこのままでいたら、ぽっぷちゃん……じゃなくて『クロリス』ちゃん、足がしびれちゃうもんね」
「ですから、現実に戻るまで、少しの間、眠ってください」

 そう言うと、ぽっぷちゃんは両手で僕の目を塞ぐ。

「ファファ、おねがい」
「はい。ピピット、プーリット、プリターン、ペーペルト……」

 遠くで誰かが呪文のようなものを唱え始める。不思議なことに、その声もまた、ぽっぷちゃんだった。呪文はメロディとなり、着信音へと変わり、自宅からの電話だと気づいて………
 僕は意識を取り戻した。

 懐から携帯を出すと、僕は電話に出る。母さんからだった。僕が帰りが遅いので心配になったのだろう。周囲を見渡すと、夜の美空駅前と判る。僕はバス停に設置されていた椅子に座っていた。時間は21時くらいだろうか。日が出ていた時とは違い、人影はまばらだった。「30分くらいで帰るよ」と母に伝えると、僕は携帯を切る。
 ええっと……なんだっけ?
 ついさっきまで美空高原の花畑にいた……ような気がするのだけど、ここはどう見ても美空駅前だよな。でも、美空高原にタクシーを呼んで、急いで戻ってきたとしても1時間じゃ無理だ。もしかして、僕はずっとここで居眠りしていて、夢を見ていたのだろうか。後頭部が痛いのも、不自然な姿勢で居眠りしていたせいなのかもしれない。全ては夢だったのだろうか? ぽっぷちゃんと出会ったことも。二人でバスに乗ったことも。花の女神『クロリス』ちゃんや『ポセイドン』のことも…。

 いやまて…。ちょっとまて……。まて! まて!! まて!!!

 さっきまでぽっぷちゃんにしてもらっていた膝枕が本当に夢だったのか? 確かに夢のような体験には違いない。しかし、そうと知らずに触れてしまった太ももの生々しい感触は、今でもはっきり指先に残っている。あれが夢のはずが無い!! 夢のはずが無いのだ!!
 だとすると……『クロリス』ちゃんの見せてくれた不思議な力も、夢ではない……ということか? あんなイリュージョン、現実にできるわけが無い。ぽっぷちゃんの膝枕が本当なら、『クロリス』ちゃんも本物の花の女神様だということになる。つまり『クロリス』ちゃんはぽっぷちゃんが演じていたPCではなかった? じゃあ、ぽっぷちゃんは何なんだ? もちろん僕にとっての女神様であることに違いは無いが…
 わけが分からなくなった僕は、再びバス停の椅子に座り込むと、なんとなく夜空を見上げた。そのとき、僕は一瞬、何かを見たような気がした。あれは……フライングヒューマノイドなのだろうか? 今日2度目のフライングヒューマノイド? ばかな。そんなオカルトめいたものが何度も見えるはずが……。やっぱり夢なのかもしれない。
 僕は現実に戻るため、家路につく。しかし真実か否かの堂々巡りは就寝しても終わらない。次の日、僕は思いっきり寝坊してしまった。


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