PRECURE SQUARE trio 
Aパート S-0, S-1, S-2, S-3, S-4, S-5, S-6, S-7, S-8, S-9, S-10,

Scene0◆運命

 海原くみこは走った。走って走って走り続けた。息が切れ、横腹が痛んでも、立ち止まるわけにはいかなかった。立ち止まれば『運命』と言う名の怪物に追いつかれてしまう。か弱い少女にあがなう力は無い。追いつかれてしまえば、たちまち飲み込まれてしまう。

 気がつけば、くみこは池のある公園にたどり着いていた。だめだ……。もう、これ以上逃げられない。追いつめられたくみこは、あふれる涙を両手で拭い、ゆっくり振り返ると、迫り来る『運命』を見つめた。

「どうして……。
 来ないでって言ったのに…。どうして追いかけてくるの?
 どうして? どうして? どうして? どうして? 
 どうしてなの? ぽっぷちゃん……」


◆ ◆ ◆ ◆ 天地海の三重奏 第2番 ◆ ◆ ◆ ◆

『可憐! 蒼海の女神、キュアテティス』


Scene1◆行方

「本当なの? えりかちゃん!
 本当に、本当に、くみこちゃんが見つかったの?」

「それをこれから確かめに行きますのよ。付いて来ますの? 来ませんの?」
「行く! 行きます! 行かせてください! えりかお嬢様っ!!!」

 ぽっぷの美空小時代の親友、海原くみこの失踪が明らかになって1週間が経過していた。
 明らかとなる二日前、スーパーで買い物をするくみこと遭遇していたため、ぽっぷは最初、さほど問題視はしていなかった。久々に会った美空小の仲間達から、2学期を終えて以降、くみこが不登校になっている事実を知らされても、家庭や心の問題くらいに考えていた。

 事態の深刻さに気づいたのは、その夜の事である。くみこの力になりたいと思ったぽっぷは、どんな悩みを抱えているのか知るために、ファファを見習い服に着替えさせ、魔法を使った。ところが、その魔法が弾かれてしまったのだ。一級魔女見習いは、一般的な魔女に匹敵する魔力を使える。それが弾かれたという事は、魔女と同等かそれ以上の力を持つ者によって、魔法が阻止された事を意味する。
 魔女か、魔法使いか、それ以外の『何か』か。それが悪意によるものか、善意によるものか。
 くみこの行方も、くみこに干渉する者の正体や意図も判らぬまま1週間が過ぎ、暗澹としていたところに突如入って来たのが、えりかからの一報であった。万能だと思っていた魔女の魔法ですら不可能だったくみこの行方を、えりかの雇う探偵が探り当てたというのだ。これには流石のぽっぷも驚嘆せずにはいられなかった。

 魔女界の存在を知らないえりかにとっては、ぽっぷが過剰なまでに驚嘆する理由を半分も理解できなかったが、その喜びようは、くみこへの友情故と理解していた。だからこそ、想いは複雑であった。

「春風サン。水を差すようで申し訳ありませんが、ワタクシの探偵が海原サンを見つけたという事の意味を理解してますの?」
「え? えりかちゃんも、行方不明のくみこちゃんが心配で、探偵さんに探してもらったんでしょ?
 ………違うの?」
「それとこれとは話が違いますのよ。海原サンが見つかったのはたまたま。思いがけない偶然でしたの。ワタクシが探偵に依頼している内容、春風サンもご存知ですわよね?」
「え?…あ、…『神札』の…行方…」
「そう! この情報が確かなものなら、海原くみこサンは『神札』が憑依した『依り代』ということになりますの。事と次第によっては、倒さなければならない敵となる可能性だってありますの!」

 ぽっぷは一瞬表情をくらませるが、すぐに元の笑顔を取り戻した。

「……うん、大丈夫だよ。そうだとしても大丈夫! だってくみこちゃんなんだもの。誤解や行き違いがあったって、ハートでぶつかれば絶対判り合える。それに、もしかしたらくみこちゃんが海のプリキュアかもしれないよ」
「呆れ返るほどに楽天家ですわねぇ。ご存知? アメリカではそのような人の事を『ポリアンナ』って呼ぶそうですわよ、春風『ポリアンナ』サン」
「楽天家でくくられるのは不本意だなぁ。実に不本意だよ。これでも私なりの根拠はあるんだよ。くみこちゃんはソナチネ幼稚園児代からの幼なじみで、しかも親友なんだもの」
「あら、そう」
「…………もしかして、嫉妬してる?」
「なっ!? だっ、誰が嫉妬しますかっ! ワタクシはノーマルですのよっ!」
「私だってノーマルだってば」(^^;

 くみこが見つかるかもしれない。それはとても嬉しい事だけど……。必要以上にはしゃいでしまったのは、現実から目を逸らしたかったからかもしれない。笑顔とは裏腹に、ぽっぷの胸は不安で溢れそうだった。


Scene2◆疑心

「ここでいいわ。歩きましょう春風サン。雛乃とお兄様は車で待っていて。心配は無用よ。昔のクラスメイトに会いに行くだけですもの」

 心配そうな雛乃といつもクールなアポロンに笑顔で応えながら、えりかはぽっぷと車を降りた。
 くみこの新しい住まいは美空町内ではあったが、隣町との境目近くで二人とも土地勘が無かった。唯一の頼りは探偵が用意した手書きの判りにくい地図のみ。えりかもぽっぷも空間認識能力は高いが、それでも分析には手こずった。

 くみこの以前の住まいをえりかは知らないが、ぽっぷの話によると中流家庭の一軒家であったらしい。しかし先週、ぽっぷが久々に訪れたところ、くみこの家があった場所は更地にされ、売りに出されていたのだという。それだけならプライベートな問題と言えたが、問題なのは、その更地周辺に呪術的結界が張り巡らされていた事だった。恐らくは人払いの呪法。美空中学のクラスメイトを近寄らせないためのものだろう。ぽっぷは更に、くみこの家のご近所に聞き込みをしたが、どの人も海原家に関する記憶が曖昧だった。記憶を操作されているとしか思えなかったのだそうだ。
 海原くみこの失踪は、特殊な力を持った何者かによって巧妙に隠されている…。少なくとも、ぽっぷはそう確信していた。

 しかしえりかの考えは少し違う。第三者ではなく、くみこ自身が特殊能力を覚醒させたのではと疑っていた。神札が憑依していれば十分あり得る話である。人払いの呪法や記憶操作が使えるなら、幻惑系の能力者だろうか。もしかしたら、えりかやぽっぷがそうであるように、プリキュアの力すら手に入れているかもしれない。
 だけど判らない。えりかもぽっぷも日常と非日常を、学園生活とプリキュアを両立させている。プライベートタイムを大幅に削ってはいるが、決して不可能なことではない。しかしくみこは学校を休み続けている。学園生活が崩壊した上に家族ぐるみで行方不明だ。それが第三者の介入によるものであれ、くみこ自身の意思であれ、日常が維持できていない以上、良くないことが起きていると考えざる負えない。何らかの事件に巻き込まれたのだろうか。
 それとも………くみこ自身が事件を引き起こした?

 えりかが知っている海原くみこは、虫も殺さぬ平和主義者に見えたから、ぽっぷが彼女を信じたい気持ちも判らないではない。しかし既に1年が経過しているし、神札により神の力を得た可能性も高い。一般的に思春期の子は不安定になりやすいし、環境の変化が人格に影響を与えることだって大いにある。
 ぽっぷは話しかければ笑顔で応えるが、黙っている時の目には余裕が感じられない。くみこが心配でならないのだ。だけどもし、親友と信じていたくみこが牙を剥いたら……。いや、それでもお人好しのぽっぷは闘わないだろう。二人の仲を考慮して、くみこの件はぽっぷに一任した方が良いのでは?と考えたこともあったが、最悪の事態を考えるとやはり一人では行かせられない。

 何故なら春風ぽっぷを倒すのは、この玉木えりかだからだ。お互いを高め合い、最高のコンディションで闘い、そして完膚無きままに叩きのめす。それこそがえりかの望み。これだけは絶対誰にも譲らない。


Scene3◆後悔

 その20世紀半ばに作られた二階建ての古びたアパートは、民家と民家の間にある細い路地を通った先にあった。三方を壁に阻まれ、裏口は無い。まるで時間の流れに取り残されたような、不思議な空気を醸し出していたが、二階を見上げると、壁に真新しいケーブル……恐らくはインターネット回線か、ケーブルテレビ……が引かれており、現在が21世紀なのだと思い出させた。
 えりかの探偵から得た情報によると、くみこはこのアパートの102号室に住んでいるらしい。1階の部屋は3つあり、中央の部屋だけ表札が無かった。情報が正しければ、ここがくみこの住む部屋なのだろう。
 呼び鈴は見当たらないのでドアをノックしてみるが、留守らしく返事は無かった。ドアの隣にある窓には厚めのカーテンが引かれており、中は見えない。えりかがアルテミスの能力で聞き耳を立ててみるが、やはり部屋には誰もいないようだ。その代わり、右隣の部屋から物音が聞こえたとのことで、聞き込みをすることにした。
 右隣の部屋から現れたのは、60代くらいのおじいさんだった。彼の話によると、表札の無い部屋には、年の初めから母と娘の親子が住み着いているらしい。娘はぽっぷやえりかと同じくらいの年なのだそうだ。

「変ですわね。報告書には、海原サンが一人暮らしをしているとありますが…」
「それでもいいじゃん。くみこちゃんがここに住んでいるのなら、独ぼっちじゃなかったってことだもん」

 そう言うと、ぽっぷはくみこが住む部屋をじっと見つめ、つぶやいた。

「私が……私がカレン女学院に行かなければ、くみこちゃんはこんなことにならなかったんじゃないかな」
「は? 何をおっしゃっているのかよく判りませんわ。どういう意味ですの?」
「私がカレン女学院へ行かずに、美空中に行っていれば…。私が側にいれば…。くみこちゃんの異変にもっと早く気づいてあげられたんだ。きっと私のせい……」
「このっ、おバカさんがっ!?」

 えりかはぽっぷの額にデコピンを食らわせた。そっとなでる程度ではあったが、ちょっとだけアルテミスのパワーを使ったので、生身の身体には結構なダメージである。

「いった〜〜〜〜い! 何するんだよ!!」
「貴方は殉教者なのかしら? それとも全能の神にでもなったおつもり? 身の程をわきまえなさい! たかが花の女神の分際で生意気ですのよ!
 そもそも、貴方にとってカレ女への進学とはその程度のものなのかしら? 貴方のピアニストの夢とはその程度のものだったのかしら? その程度の志で、ご両親に安くない学費を払わせているのでしたら、カレ女なんかとっとと辞めておしまいなさい! 美空中に転校した方がよっぽど親孝行ですわよ!」

「ご、……ごめん」

 この世の不幸は全て自分のせいだとでも言いたいのだろうか? 世の中にはベストを尽くしても、どうにもならない事があるというのに、このお人好しは何も判っていない。えりかはぽっぷをつれて来た事を、少しずつ後悔し始めていた。

「海原サンがいつ戻ってくるかも判りませんし、このまま待っていても仕方ありませんわ。一旦帰りますわよ。あまり待たせると雛乃が心配しますわ」
「……うん、そうだね」

 名残惜しそうなぽっぷの手を引っ張り、えりかは狭い路地を戻る。ぽっぷがくみこの事で、ここまで気に病んでいたとは予想外だった。こんな状態でくみこと会って大丈夫だろうか? 嫌な予感がしたえりかは、足早にその場を去ろうとした。しかし運命はそれを許さない。

「ウソ…… どうして……」

 路地を出たところで、えりか達の視界に入った少女は、驚きのあまり買い物かごを落とした。そしてきびすを返すと、全力で駆け出す。

「待って! 待ってくみこちゃん!!」
「お待ちなさい、春風サン!!」

 くみこを追いかけるぽっぷの耳に、えりかの言葉が入るはずも無い。力ずくでも止まらないだろう。一人残されたえりかは、くみこの落とした買い物かごを手に取ると、こぼれ落ちた食材を拾い集め、かごに入れた。


Scene4◆拒絶

「待って! くみこちゃん!」
「いや! 来ないで!!」

 どうして私を拒絶するの? 私といるのが恥ずかしいから? 私に言えない秘密があるから? 私を嫌っているから? それとも私に怯えているから? どうして? どうして? どうして? 判らないよ! くみこちゃん!
 ぽっぷは焦っていた。ここで諦めてしまったら、くみこが遠くへ行ってしまうような、もう二度と会えなくなるような、そんな胸騒ぎがしていたのだ。どれだけ拒絶されようとも退くわけにはいかない。だからぽっぷは全力で走った。しかし、くみこには追いつけなかった。

 ぽっぷの運動神経は並外れていて、美空小時代もトップクラス。運動会では毎年大活躍だった。対してくみこの運動神経は平均的女子小学生にすぎず、中学生になってもその差は決して埋まることはない。にもかかわらず、ぽっぷはくみこに追いつけなかった。くみこは徹底的に地の利を活かし、ぽっぷの接近をことごとく阻止していた。まるで逃走経路をあらかじめ用意してたかのような巧みさであった。
 ようやく追いついたのは中央に池のある公園にたどり着いた時だった。池を前にしたくみこは、ぽっぷに背中を向けたまま、息を切らしながら立ち尽くしていた。逃げられないと悟ったのか、くみこは池の前から動こうとしない。リョックを背負った身体が上下に揺れている。
 いつものぽっぷであれば、誘い込まれたことに気づいていただろう。……いや、ぽっぷは気づいていたのかもしれない。ただ、目の前の現実が受け入れなかったのだ。

「私……言ったよ……。来ないでって言ったよ……。どうして追いかけて来たの……」
「どうしてって……くみこちゃんが心配だったんだよ」
「そうやって、いつものように振る舞って……私を騙す気なのね……」
「騙すって……どういうこと? 判らないよ。何を言ってるの? くみこちゃん!!」

 振り返ったくみこは、右手にはハートマークの付いたカードケースを、左手にはおもちゃのシェルコンパクトを握り、ぽっぷを睨みつける。その目の奥に宿るのは……?

「プリキュア、コンバイン!!」

 くみこがかけ声とともに左手に持っていたシェルコンパクトを前にかざすと、コンパクトが開き、無数の光る水滴が飛び出した。それはくみこの周囲を回転しながら包みこみ、渦上のコンバインフィールドを形成。くみこを一瞬だけ覆い隠す。渦が消えた時、そこには姿を変えたくみこが立っていた。

「海乙女統べる乙姫がひとり。
 深きなる蒼海(タラッサ)の女神、キュアテティス!!」

 くみこの合体したプリキュアは……。それは不思議な姿をしていた。
 お下げは魚のひれのように変化しており、頭からは触覚のようなものが生えている。
 胸元こそ貝殻状の胸当てで隠されているが、上半身は裸と言っても過言ではない程に露出度が高い。
 1スカートは19世紀の西洋風ドレスのようで、腰から足の先まですべてを覆い隠しているが、水で出来ているのか蒼く半透明なため、下半身のシルエットははっきり見えていた。
 無防備とも思える上半身に、やたら重そうな下半身。おおよそ闘いとは無縁の姿に感じられた。しかしそれでも侮るわけにはいかない。くみこはプリキュアを名乗った。プリキュアとは戦士なのだ。くみこにとっての脅威が目の前に無ければ、合体などしない。くみこはぽっぷを自分の脅威と認識したのだ。くみこはぽっぷを自分の敵と認識したのだ。
 だけどぽっぷは……いや、だからこそぽっぷはプリキュアに合体しなかった。プリキュアに合体すれば、ぽっぷもくみこを敵と認識してしまうことになる。そうなれば『デュエル』が成立し、二人は閉鎖空間へと囚われてしまうだろう。閉鎖空間に囚われれば最後、勝負をしてどちらかが倒れるまで元の世界には戻れない。最悪の事態を避けるならば、戦いを避け、逃走するのがベストな方法だ。だけどぽっぷにはその選択も出来なかった。大切な友を失うかもしれない恐怖は、身の危険をはるかに上回っていたのだから。
 だから、ぽっぷに残された唯一の手段は、くみこに話しかけることだった。たとえくみこが聞く耳を持ってなくても…。その先には絶望しか無くても…。

「やっぱり、くみこちゃんもプリキュアだったんだね……。
 わ、私もプリキュアなんだよ。キュアクロリス、天空のプリキュア……なの」
「ぽっぷちゃん……」
「なに? くみこちゃん」
「どうしてなの?……」
「え? なに? なんのこと?」

 池から水滴がフワフワと浮き上がり、キュアテティスを守るように周囲の空間へと集まっていく。やがて30もの氷柱が精製され、鋭利な切っ先は全てぽっぷへと向けられていた。
 キュアクロリスのスピードなら弾丸すらも避けられるし、防御力も高いので氷の固まりが直撃した程度で大したダメージも受けない。しかし合体前のぽっぷにそのような力は無い。何しろぽっぷに憑依する花の女神は戦闘力0。せめて集中力さえ高めていれば、人並みはずれた運動神経を駆使して神回避が出来たかもしれないが、精神を研ぎすましている余裕など無かった。ぽっぷはキュアテティスに…海原くみこに気を取られていて、それどころではなかったのだ。

「どうして…。どうして泣いているの? くみこちゃん…」

 ぽっぷはくみこの問いに答えられず、くみこもぽっぷの問いに答えようとはしない。
 くみこはただ一言、技の名を唱えただけだった。

「ミソツチ…アイシクル……」

 その瞬間、30もの氷柱が一斉に放たれる。ぽっぷに串刺しの死が迫っていた。


Scene5◆現実

 暗闇の中で、何かが砕ける音が響いた。暗闇?……いや、違う。思わず目をつぶってしまっただけだ。受け入れがたい現実から目を背けていたのだ。このままではいけない。そう判っていても、ぽっぷはなかなか目を開けることが出来なかった。くみこの変貌は、それほどまでに辛い現実であった。

「ミソツチ・アイシクル!」

 再びくみこが技を唱えると、遠くから風を切る音が聞こえ、間近で何かが砕け散る音がした。くみこは氷柱を放ち、氷柱はぽっぷの間近で砕けている? どういうことなのだろう。もしかして、くみこの攻撃はぽっぷを試しただけで、本意ではなかった? そうだ。きっとそうだ。くみこが人を傷つけるような真似をするはずが無い。人を傷つけるなんて真似は……

「ミソツチ・アイシクル!」

 再びくみこが技を唱えた。遠くから風を切る音が聞こえ、間近で氷柱が砕け散る音。その音は、ぽっぷの願望も打ち砕いた。これが…現実……。現実なのだ……。

「目の前の現実と向き合いなさい!! 千里眼の貴方が目を背けてどうしますの!」

 心が折れそうになったその時、間近でえりかの叫び声がした。目の前にえりかがいる? まさか……くみこの攻撃を阻止しているのはえりか? えりかがぽっぷを守っている!?
 その驚くべき現実を確かめようと、ぽっぷは目を見開いた。目の前で風になびくのは、カ−ルのかかった長い金髪。ぽっぷの前で仁王立ちするえりかの後ろ姿だった。

「え、えりかちゃん」
「ようやくお目覚め? それともまだまだ夢うつつなのかしら? どっちにせよ、こんなつまらない死に方だけはワタクシが絶対に許しませんわよ!

 ぽっぷは状況を把握しようと周囲を見渡す。
 えりかの周囲には30もの小さな弓矢が浮かんでいる。アルテミスの能力『ルナティックアロー』を展開しているようだ。しかしえりかの姿に変わりは無い。金色の獣に変化していないのは力をセーブしている? くみこと本気で闘うつもりはないということか。
 ぽっぷやえりかの足下には砕けた氷が散乱し、すでに溶け始めていた。くみこが放った氷柱のなりの果てと見て間違いない。
 くみこの姿はえりかの背中越しに見える。プリキュアとなったくみこは池の前から移動せず、周囲に新たな氷柱を精製しているのがわかる。

「ミソツチ・アイシクル!」

 くみこが技を唱えるとともに、風を切る音が聞こえた。その瞬間、浮遊する弓矢が反応する。同時に氷柱が『ルナティックアロー』の矢じりに激突し、砕け散った。破片が足下に転がってゆく。えりかの反撃? ……いや、ならばデュエルが成立して公園ごと閉鎖空間に閉じ込められるはず。しかし空気の流れは変わっていない。
 ぽっぷは即座に理解した。
 金色の獣もキュアキュンティアも攻撃に特化している反面、防御力が低い。だからえりかの戦闘スタイルは、攻撃を回避しながら闘うか、一切の反撃を許さない猛攻で決めるか、防御の必要が無い長距離狙撃をするかのいずれかになる。しかし今、えりかは最も苦手とする防御に徹している。遮蔽物の無い広い場所で、くみこの放つ氷柱から身を守るにはどうすれば良いか。その難題にえりかが出した答えが、無数に浮かぶ『ルナティックアロー』であった。盾を持たないえりかにとって、もっとも固いのは『ルナティックアロー』の矢じりである。飛んでくる氷柱を矢じりで受ければ、こちらから攻撃せずとも氷柱を破壊することが出来る。しかしそのためには、真正面から氷柱を受けねばならず、ひとつひとつの矢の角度を即座に調整せねばならない。
 えりかは30もの氷柱を粉砕するため、30もの『ルナティックアロー』を操っているのだ。ぽっぷを守るために! …いや、違う。ただぽっぷを守るだけなら、もっと効率的な方法がある。ぽっぷを抱えて逃げれば良いのだ。くみこの挑発に乗って反撃したり、傍観に徹するという選択肢だってある。にもかかわらず、ぽっぷの前に踏みとどまっているのは、ぽっぷの決断を待ってくれているからに他ならない。

 えりかはぽっぷを信じて、くみこのことを委ねてくれたのだ。それは、とても、とても、素晴らしい現実だった。だが、なんということだろう。ぽっぷはえりかの信頼に応えることが出来なかった。くみこと闘えば殺し合いになる。くみこから逃げれば見捨てる事になる。そしてくみこが聞く耳を持たない以上、第三の選択肢は永遠に現れない。
 闘うことも、逃げることも出来ない……。ぽっぷにとって、それもまた現実。つらい、つらい、過酷な現実であった。


Scene6◆策略

 ゲームの遊び方に『縛りプレイ』というものがある。例えば、銃で闘うアクションゲームでナイフのみでクリアと目指すと言った具合に、自主的な制限を設けることで敢えてゲームの難易度を引き上げ、やりごたえのあるプレイにする。そんな上級者向けの遊び方だ。スポーツの試合に例えるなら、ハンデキャップ戦のようなものであろうか。
 『攻撃こそが最大の防御』を信条とするえりかにとって、一切の反撃が許されぬ防衛戦は苦手……というより不本意。何より不愉快であった。しかし、これを『縛りプレイ』と考えれば、反撃する事無く攻撃のすべてを阻止するのもまた一興。

 『ミソツチアイシクル』は水を凍らして放つ氷柱の槍。その能力を活かすには、大量の水が必要だ。くみこが池の側から離れないのは、水を操るのに距離が影響すると考えられる。つまりくみこは、戦いに有利な場所へとぽっぷを、そして恐らくえりかをも誘い込んだのだ。だが、しかし……。
 30もの氷柱はそれなりに脅威だが、所詮はただの氷なので粉砕は容易い。直撃しても、攻撃力自体大したことがないため、人は殺せても神は殺せない。氷柱の槍を精製するのに時間がかかるので、隙も大きい。確か名前はキュアテティスだったか……。水を操るプリキュアのようだが、この程度の技でぽっぷやえりかを倒せると思っているのだろうか?
 いや、彼女もプリキュアだ。きっと切り札を隠し持っているはず。チャージ系の必殺技を発動させるために力を貯めているか、必殺技につなげるための布石を打っているところか。そうであってほしい。そうでなければつまらない。この程度の攻撃がくみこの全力では、戦うどころか倒す価値すら感じないのだから。

 えりかがくみこに反撃しないのは、くみこを挑発するため。隠し続ける本当の力を見せるなら、敬意を表して全力で戦いもしよう。しかし、この程度の力がくみこの全力なら徹底的に見下す。戦いにすら持ち込めない現実を見せて、絶望させてくれる。
 えりかがぽっぷをかばったのは、ぽっぷを倒すのは自分だと決めていたからだ。だけど、少しだけ期待もしていた。ぽっぷの発想力は侮れない。思いもよらぬ方法で状況を打破するかもしれない。それが見られるなら、戦いを放棄してもいい。

 それにしても、不思議な姿をしたプリキュアである。くみこの上半身は胸当てを除けば裸も同然。下半身はお姫様のようにボリュームたっぷりの蒼いスカートで包まれてはいるが、水で出来ているかのように透けていて、シルエットはほとんど見えていた。キュアテティスに比べたら、キュアクロリスやキュアキュンティアのコスチュームは、至って『普通』な気がする。正直、あんな露出度の高い格好で人前には出たくない。

 人前?

 そのキーワードが浮かんだ時、えりかは奇妙な事に気づいた。公園の周りに人の気配がないのだ。日曜日の昼下がり。どこまでも続く青空と、暖かい陽射しが心地よい、絶好の散歩日和。そんな日に、池もある大きな公園に、誰も来ない? もともと人通りが少ないのか? いや、キュアテティスが恥ずかしげも無くあられもない姿をさらして、派手に攻撃を仕掛けている事から察するに、人を遠ざける技を持ち合わせていると考えた方が説明がつく。もしや、大技を仕掛けてこないのは、人が遠ざかるのを待っているからだろうか?

 突然、ぽっぷが悲鳴を上げた。えりかは振り返らずとも理由に気づく。足下に水が集まり、凍り付いていたのだ。砕いた氷柱が一度解け、足下に集まって再び氷となり、えりかとぽっぷの自由を奪う。水を操るプリキュアならではの作戦と言うべきか。拘束技『超電磁竜巻』の後に来るのは必殺技『超電磁スピン』と相場は決まっている。間違いない。キュアテティスの大技が来る!
 えりかは振り返ってぽっぷの足下を見た。拘束の氷はすでに足の付け根にまで達している。氷を砕くにしても、上手くいって足を骨折、下手をすれば切断だ。無理に引っ張れば腕を引きちぎってしまうだろう。氷を溶かすなら兄アポロンの協力が必要だが、えりかがこの場でキュアキュンティアに合体しようものなら、合体時にえりかの周囲に発生するフレイムに巻き込まれ、ぽっぷが消し炭になってしまう。もはやえりかに、ぽっぷを無事に救出する手段は無い。

「これはちょっぴり大ピンチですわね。さあて……どうしてくれましょうかしら」

 くみこの策略により、いざという時には、ぽっぷを抱えて戦略的撤退をする…という平和的プランは完全に断たれた。それは話し合いを望むぽっぷにとっては最悪の事態であり、戦いを望むえりかにとっては最良の事態であった。


Scene7◆逆鱗

 えりかは『ルナティックアロー』に回していたパワーを全て戻すと、瞬時に『金色の獣』へと姿を変えると、続けて拳を足下に叩き付け、まとわりつく氷を砕く。自由を取り戻したえりかは、横へ跳び、真っ直ぐ駆け抜けると、再び横へ跳び、キュアテティスの背後へ。池の対岸へと回り込む。さっきまでいた場所からキュアテティスを挟んでちょうど反対側だ。テティスとの距離はえりかもぽっぷもほぼ同じ。これで攻撃目標は2つになった。さて、くみこはどう動く?
 普通に考えれば、無防備で無抵抗で身動きの取れないぽっぷよりも、フリーハンドとなったえりかを警戒するだろう。そうなれば願ったりか叶ったり。もう少しの間、戦いを楽しむ事が出来る。
 しかし最初からぽっぷの抹殺が目的なら、えりかには目もくれず目的を果たそうとするかもしれない。あるいは全方位攻撃で二人を同時に攻撃してくる可能性もある。その場合は躊躇せず、一瞬で決着をつけてしまおう。

 実は一瞬で決着がつけば、デュエルは成立せず、閉鎖空間に閉じ込められる事も無い。そしてプリキュアは、プリキュアの状態で致命的なダメージを受けても、合体が解けるだけで死ぬ事は無いのだ。そしてえりかには、キュアテティスとなったくみこを一撃で倒す絶対的な自信があった。それこそが、この最悪の状況を乗り切る唯一の方法であり、えりかが戦いを楽しんでいられる理由でもあった。
 実際には『金色の獣』では力不足で、キュアテティスを倒す事自体不可能だった。だが、それを知るのは後になる。何故なら、くみこが打った次の一手は、思いもよらぬ事態へと発展してしまったからだ。

 くみこの背後へ回り込む事を優先したえりかは、くみこが何をしているのか見逃した。重要なのは技の能力であり、どんな技を放つまでのポーズやモーションを知ったところで無意味だと考えていたからだ。だから、振り返ったくみこが発する不吉な言霊は、えりかから微笑みを奪った。

「いでよ! カイトス!」

 その名は忌まわしい化け鯨の名前だった。えりかとぽっぷが力を合わせ、やっとの思いで致命傷を与えた大海獣…。だが、とどめは海王神ポセイドンが憑依する蟹の仮面の男によって刺され、カイトスの神札は行方不明のままだ。
 それと同時に、キュアテティスの左腕のガントレットに装飾されたハートのシンボルが点滅を始める。くみこに憑依する神の力ではない。ガントレットはプリキュアになる事で装着される装備のひとつ。くみこは、えりかやぽっぷの知らない、プリキュアの未知の能力を発動させようとしているのだ。
 点滅が早まり、ハートのシンボルが輝きで溢れると同時に、左腕のシンボルから何かが飛び出した。大空へ舞ったそれは、急速にえりかのもとへと迫ってゆく。いや、急速に迫っているのではない。迫ると同時に急速に大きくなっているのだ。飛び出したときはメダカほどだったのに、フナのようになり、マグロになり、シャチになり、えりかの目の前を覆い尽くし、そして公園に轟音が轟いた。

 えりかは間一髪のところでその攻撃を回避し、間近で正体を見る。黒い背中に頭の不気味な模様…。現れたそれは全長10メートルほどではあったが、まぎれも無く化け鯨カイトスであった。サイズこそ小さいが、質量は変わっていないのか、全身の1/3が地面にめり込んでいる。それはカイトスの攻撃技のひとつ、『ホエールプレス』である。身体のサイズや質量を自在に変化させ、対象となる敵を押しつぶすのだ。
 カイトスは尾ひれを大地に叩き付けると大空へ舞い上がった。飛行能力『ホエールホセフィーナ』。質量を自在に変化させる能力を応用し、身体を空気よりも軽くして空を泳ぐ。同時に身体のサイズも自在に変化させることで、えりかの距離感の混乱も狙っていた。

 次の攻撃の機会を狙うカイトスに対し、えりかは立ち尽くしたままカイトスを見つめていた。足は震え、その顔は恐怖で歪んでいた。えりかの脳裏を嫌なイメージが支配する。それは忘れていた死に至る記憶。カイトスとの戦いの最中、雛乃の安否に気を取られ、戦いを忘れ、押しつぶされ、首を折られた忌まわしい記憶。精神的外傷。トラウマであった。
 呼び起こされた死の感触は、えりかの足下をぐらつかせ、膝をつきそうになる。だけど寸でのところで踏みとどまる。えりかの鼻持ちならないプライドは、何よりも誰よりも、自分自身に厳しかった。

(このワタクシが、死をも恐れぬ玉木えりかが、化け鯨ごときに怖じけている? そんな事…そんな事あるものですか! 認めない! 受け入れない!! そして絶対許さない!!!)

 えりかの心がカイトスへの怒りで塗りつぶされていく。限界を超えた憎悪が大地を震わせる。その時、月と狩猟の女神は、復讐の女神と化した。


Scene8◆仮説

「アポロンめ。やってくれる…」

 必殺の三ツ矛『トリアイナ』を手にしたまま、ポセイドンは戦いの傷跡も生々しい公園を見つめていた。『太陽』に焼かれた右肩は、炭化して腕を上げる事もままならないが、回復に専念すれば5分ほどで元に戻るだろうか。笑顔とは裏腹に、ポセイドンの心は重い。最悪の事態だ。

 ポセイドンが不穏な空気に気づいて公園の側に来た時には、すでにアルテミスは暴走を始めていた。いつ閉鎖空間が生まれてもおかしくない状況で、一刻の猶予もなかった。必殺の三ツ矛『トリアイナ』なら、一瞬で決着を付けられる。だが、プリキュアでいるのはキュアテティスのみだった。キュアテティスを倒せばデュエルは成立せず、閉鎖空間も生まれないが、それでアルテミスが止まるわけではない。アルテミスの暴走はとどまる事を知らず、すでに依り代である玉木えりかの崩壊は始まっていた。今はまだ回復可能だが、このままでは依り代は助からない。アルテミスは狩猟の女神。依り代を食い破ったそのパワーは獲物を求め、今度は美空市中を蹂躙するだろう。
 では、プリキュアでないままのアルテミスに必殺の『トリアイナ』を放てば? 確かに暴走は止められるし、閉鎖空間も発生しないが、やはり依り代たる玉木えりかは助からない。むしろ確実なる死をポセイドンの手で与える事になる。
 ならばこのまま放置すればどうなる? デュエルが成立し、公園内にいる春風ぽっぷ、玉木えりか、海原くみこの3人が閉鎖空間に閉じ込められてしまう。勝負の決着がつかなければ逃れる事の出来ない閉鎖空間で、幼い少女達が、それも親しい友達が、よりにもよってプリキュア同士が、生き残りをかけた殺し合いをしなければならなくなる。良くて一人、最悪だと三人全てのプリキュアが失われてしまう。それだけは絶対避けなければならなかった。
 美空市を守り、犠牲を最小限に抑えるためには、暴走するアルテミスを倒すしか無い。玉木えりかを殺める事になろうとも。誰かが手を汚さなければならないなら、十字架を背負うのは幼い少女達ではなく、大人であるべきだ。しかしそれも、アポロンの不意打ちによってあっさり阻止されてしまったのだった。

 アポロンとアルテミスは双子の兄妹。親子兄弟が殺し合うギリシャ神話の中でも、二人の絆の深さは際立っている。アルテミスのためなら、世界を敵に回す事もいとわないだろう。アポロンの妨害は想定して然るべきだった。ポセイドンは己のうかつさを心の底から悔やんでいた。
 突然、ポセイドンの側に何かが落下して土煙を上げる。空を見上げると、雨も降ってないのに虹が現れていた。それは虹の女神イリスが飛翔した時に現れる軌跡。スピードを上げれば上げるほど虹の軌跡も濃くなるが、頭上に現れたそれは、物質化しているのではないかと思えるほど鮮やかだった。

「けほっ、けほっ、ヘッタクソな着地だなぁ、もう!」
「しょうがないでしょ! 人ひとり抱えて準光速で飛ぶなんて初めてなんだから! 減速のタイミングだって間違えちゃうよ! ああん! もう! お風呂に入ったばかりなのに泥だらけだわっ!」

 土ぼこりから現れたのは女神が憑依する二人の少女。戦の女神アテナが憑依する都留ひろこは、部活動の最中だったのか体操服姿。虹の女神イリスが憑依する虹釜ひとみは……入浴中だったのか、バスタオルを巻いただけだった。ポセイドンに気づいたひとみは、恥ずかしそうにひろこの影に隠れ、大きく広げていた緑の翼を身体に巻き付けて肌を隠した。都留ひろこは静かになった公園を確認すると、キッとポセイドンを睨みつける。

「ポセイドンのおっちゃん! 何がどうなったの! 状況を説明して!」
「状況……か…。最悪の事態になったとしか言いようが無いが……」

 ポセイドンは打ち損ねた必殺の三ツ矛を収めると、二人に状況を説明する。暴走するアルテミスを倒そうとした事。ところが投擲体勢に入った時、光球と化したアポロンの背後からの体当たりで阻止された事。そしてアポロンは公園内へと飛んでゆき、3人の少女と共に閉鎖空間へと消えた事。
 緊張していた二人の少女は、話を最後まで聞くと突然笑顔を取り戻した。それはポセイドンにとり、予想外の反応だった。

「よかった。最悪の事態にはならなかったんだね」
「3人のプリキュアをいっぺんに失いかねないこの状況が、最悪ではないと?」
「あたしから言わせれば、アルテミスを倒す事こそが最悪の悪手だよ。あたし達が慌てて来たのも、おっちゃんを止めるためだったんだから」
「つまり、アポロンに不覚を取った私を笑いに来たという事か」
「無駄に罪を犯さずに済んだのだから、アポロンには感謝しても良いと思うけどね」
「ほぉ、実に興味深い。私にも判るようご教授願えるかね。戦の女神殿」
「おっちゃんは三人のうち二人を生かす方法を選んだ。現実的かもしれないけど、その方法では一人のプリキュアが必ず死ぬ。しかも犠牲となるのがアルテミスときた。おっちゃんは海王神だから、同属性である海の女神テティスをひいきしたくなるのも判るよ。だけど残念ながらプリキュアにも優劣がある。残すべきは数ではなく質なんだよ」
「黙って聞いてたら、恐ろしい事を言い出すじゃないか」
「しょうがないじゃん。これこそが非情なる現実って奴なんだからさ。もちろん、プリキュアは4人揃ってこそ本当の力を出せる。だけど最悪の場合…。もし他を犠牲にして、たった一人を選ばなければならないとしたら、キュアキュンティア以外の選択はあり得ない。それはポセイドンのおっちゃんだって判ってるはずだろ?
「しかしまだ『ティポン』が覚醒すると決まったわけではないだろう」
「覚醒しちゃったらどうすんのよ! 来るべき災厄に備えるのが大人ってもんでしょーが!
 神に仇なす究極の怪物『ティポン』。奴が覚醒する前に神札なり依り代なりを確保できればいいけど、覚醒すればあたし達では止められないよ。奴に立ち向かえるのは神々の力を束ねられるプリキュアだけ。中でも攻撃の要となるのがキュアキュンティア。あの子だけが『ティポン』を打ち倒す武器となりえる。こればっかりはテティスでもクロリスでもダメなんだよ。
 これがポセイドンのおっちゃんを止めに来た、ひとつ目の理由ね」
「………ひとつ目? 他にも理由があるのかね?」
「今のはネガティブな理由。もうひとつポジティブな理由があるのさ」

 ひろこはそう言いながら、笑顔でウィンクする。

「それは素晴らしい。僅かでも希望が持てるなら肩の痛みも和らぐかもしれない。聞かせてもらえるかな」

 ポセイドンは右肩を押さえながらその場にしゃがみ込んだ。

「今、閉鎖空間には、アルテミスとテティスだけじゃない。春風ぽっぷちゃんも一緒にいるんだ。だから大丈夫。きっとみんな無事に帰ってくるよ」
「……す、すまないアテナ。君が何を言ってるのかさっぱり判らない。クロリスがどうしたって? あれは花を操る以外なんの取り柄も無い上に、ゼピュロスの妻となる前は女神ですら無かったのだが」
「だからクロリスじゃなくて、ぽっぷちゃんだよ。神札じゃなくて、依り代の事」
「いや、ますますわけが判らないのだが。この美空市に紛れ込んでいる『人外の者』ならまだ判るが、あの子はただの人間の女の子だぞ」す、すまないアテナ。君が何を言ってるのかさっぱり判らない。クロリスがどうしたって? あれは花を操る以外なんの取り柄も無い上に、ゼピュロスの妻となる前は女神ですら無かったのだが」
「まあ確かにそう思うよね。神々が戦いを繰り広げている中で、ただの人間に何が出来るのかって。だけどね、幼い頃からずっと見て来たから判るんだ。ぽっぷちゃんは、誰かを傷つける事には躊躇するけど、その誰かを救うためなら奇跡だって引き寄せる。そんな子なんだよ」
「幼なじみならではの意見と言ったところか…。抽象的すぎてわけが判らないな。何か根拠を…。せめて具体的な事例でも提示してもらえれば嬉しいのだけどね」
「そうだねぇ…。女の勘って言いたいところだけど、あの子のこれまでの戦いぶりを振り返るだけで十分なんじゃないかな。
 キュアクロリスはゼピュロスとクロリスが合体した天空戦士だけど、実際のところ、ゼピュロスの西風の神としての能力ばかりで、クロリスの能力はまるで反映されてない。ゼピュロスとて穏やかな春風の神にすぎず、お世辞にも戦闘力が高いとは言えない。にもかかわらず初陣で、猛毒と無限の回復力をもつ水蛇の怪物ヒュドラを倒し、封じたんだよ。戦いの舞台は美空小学校校舎内で、天空戦士の得意な空中戦も望めない。猛毒を防ぐ手だても、無限の回復力を打ち破る武器も無い。だけどキュアクロリスは生還した。絶対的に不利な状況下で勝利をつかんだ。何故だと思う?」
「何故だろうな。それがぽっぷくんの力だとでも言うのかい?」
「戦いの時、美空小は放課後で、校舎には先生や幾人かの生徒が残されてた。だけどキュアクロリスが美空小に訪れたのは全くの偶然だったんだ。ヒュドラは覚醒後も巧みに気配を隠していたから、あたし達も全く気付かなかった。キュアクロリスが駆けつけてなければみんな死んでいただろうね。
 あの日、ぽっぷちゃんの家へ『贈り物』が届けられた。これはまぎれも無くエルピスの仕業だけど、ぽっぷちゃんがあの日プリキュアになったのも、あの日美空小へ向かったのも、全て偶然だった。ここまでくれば仕組まれたと考えた方がすっきりするけど、状況を知れば知るほど、人為的に仕組む事は不可能だってわかるんだよ。
 だからあたしは仮説を立ててみたんだ。ぽっぷちゃんには人助けをする天賦の才能があって、それはあたし達神々とは関係なく、無意識に発揮されるんじゃないかって。名探偵が行く先々で事件に遭遇して事件を解決するように、ぽっぷちゃんは助けを必要とする人がいる場所へ、助ける手段を持って、無自覚のまま訪れているって風にね」
「それはまた、ずいぶんと飛躍した仮説だな」
「実はあたしもそう思ってるんだ。だけど恐ろしい事に、この仮説は今回も当てはまるんだよね」
「……それは、どういうことなんだ?」
「だからさ、ぽっぷちゃんはまたしても持ってるんだよ。最悪に見えるこの状況を打破する手段をさ。本人は全く気づいていないんだけどね。あ、でも大丈夫。ぽっぷちゃんならきっと切り抜けてくれるよ。だからさ、おっちゃん。大人だからって何でもかんでも背負い込まなくたっていいんだよ」

 そう言うと、ひろこは再びポセイドンに微笑んでみせた。アテナが憑依しているとはいえ、中学生にここまで気を使われてしまうとは…。

「いずれにせよ、私たちには何も出来ない。ならば僅かな希望にすがってみるのもいいかもしれないな」

 『引退』の時期が迫っている……。ポセイドンはそう感じた。


Scene9◆業火

「プリキュア、コンバイン!」

 合体の呪文とともに『金色の獣』と化していたえりかは光に包まれる。しかし、それを唱えたのはえりかではなかった。妹の危機を察知したアポロンが、えりかの背中に取り付き、えりかに代わって合体呪文を唱えたのだ。
 合体呪文はパートナーであるゼピュロスやアポロンが唱えてもかまわない。合体アイテムであるカードケースを持っていなくても、側で唱えれば反応するのだ。ただ、ゼピュロスもアポロンもぽっぷやえりかを尊重して、普段は出過ぎた真似は決してしない。大地を揺り動かすほどのえりかの怒りに気づき、アポロンは緊急事態と判断したのだろう。そしてその判断は正しかった。
  ギリシャ神話において地震を司るのは海王神ポセイドンであり、地母神、豊穰伸としての側面も持つアルテミスにとり、大地を破壊する地震は嫌悪すべき技である。それがアルテミスによって引き起こされているのだとしたら、考えられるのはただひとつ。力の暴走だ。このまま暴走を続ければ、依り代である玉木えりかの肉体が保たなかっただろう。

 光の中から現れたキュアキュンティアのドレスは、炎を彷彿とさせる姿に変化していた。えりかの形相は怒りに満ち溢れ、怒りに呼応するかのように両腕から炎が溢れ出てる。ヘルファイヤー…。いや、これはメギドの火だ。旧約聖書に記されている背徳の街、ソドムとゴモラを焼いた地獄の業火と言った方がしっくりと来る。えりかの感情の高ぶりから生まれた新たな姿。地獄の業火をまとう怒りのフォーム。キュアキュンティア メギドフォームの誕生であった。
 それと同時に空間に異変が生じた。空気の流れが無くなり、公園の周囲の音が遠ざかってゆく。デュエルは成立してしまった。ぽっぷ、えりか、くみこの3人は閉鎖空間に閉じ込められてしまった。もう、逃げられない。

「カイトス! ホエールプレスよ!」

 空を飛んでいたカイトスはキュアテティスの命令に呼応し、己の質量を高めると、キュンティア目がけて一気に落下する。キュンティアなら容易く避けられるスピードだったが、キュンティアは避けなかった。真っ向勝負で完膚なきまでに叩きのめさねば、雪辱は晴らせないからだ。キュンティアはカイトスをキッと睨みつけると足を踏ん張り、右拳を握りしめながら下げると、落下するカイトスのタイミングに合わせ、一気に振り上げた。
 火花が飛び散り、凄まじい衝撃音が鳴り響きく。カイトスの大質量はキュンティアの身体を通して大地を砕いた。しかしキュンティアが膝をつく事はなかった。キュンティアの右拳から放たれた強烈なアッパーカットは、カイトスの質量をものともせず、上空へと弾き返したのだ。

「カイトス! スポルトキャノンよ!」

 カイトスは体勢を崩しながらも、キュンティアに向けて氷塊を撃ち出した。キュンティアは避けることなく、炎に包まれた手を前に出す。すると氷塊はキュンティアに届く前に爆発し、白煙となってキュンティアを覆い隠した。氷塊はキュンティアの発する業火の熱に耐えきれず、水蒸気爆発を起こしたのだ。
 テティスはキュンティアの視界を奪った今のうちに、カイトスの体勢を整わせ、再び攻撃に移る算段だった。しかし獲物の気配を感じ取れるキュンティアに、目くらましは無意味だった。キュンティアは迷わず白煙の中へ矢を放つ。炎の形をした矢じりの矢は、ほぼ真上に放たれ、鯨肉をえぐりながら貫通し、大気圏を脱出した所で大爆発を起こした。ルナティックアローをはるかに凌駕する破壊力は核爆弾にも匹敵する。正にメギドの矢であった。もし通常空間で放たれていれば、美空市はソドムの街と同じ運命をたどったかもしれない。

「カイトス! 戻って!」

 キュアテティスがそう命じると、カイトスは光となってテティスへと戻っていった。テティスの左手がズキズキと焼けるように痛む。カイトスのダメージはテティスにも少なからず反映されるが、カイトスが受けた実際の苦しみは、こんなものではないはず。ごめんねカイトス。私のせいで…。テティスは左手の甲を押さえながら、カイトスに謝罪した。

「あーら海原サン、ワタクシはまだ、おイタをした悪い子にお仕置きをしている最中ですのよ。邪魔をするのはやめていただけますかしら? それとも…貴方が化け鯨の代わりに天罰を下されたいのかしら?」

 キュアキュンティアは烈火の如く怒り狂い、鬼の形相をしていた。そして繰り出す技はひとつひとつがとてつもない破壊力。キュアテティスは恐怖で心が折れそうになる。だけど負けない! 大技を繰り出せば直後に必ず大きな隙が出来る。そこを突けばいいのだ。キュンティアが最強の矛なら、テティスは最強の盾。キュンティアの大技を凌ぎきれば勝てる。キュアテティスは健気にもキッと睨み返した。


Scene10◆矛と盾

「アブソリュート・ウォール・ゼロ!」

 キュアテティスが技の名を唱えると、テティスの周囲に氷の城壁が造られてゆく。特にキュンティアのいる正面が強化されていった。

「アブソリュート・ウォールはあらゆる攻撃をも受け止める絶対防壁。そしてアブソリュート・ウォール・ゼロは、触れれば最後、いかなるものでも凍てつかせる、絶対零度の究極防壁よ! 更に池の水を取り込んで正面は特に強化しているわ。玉木さんには絶対に砕けない」

 正面が強化されているということは、側面が弱点だということだ。わざわざ技を説明し、弱点を白状するなど自殺行為に等しいが、玉木えりかの性格を知っていれば話は別だ。自信家の彼女は挑発に乗りやすい。きっと真っ向勝負を挑んでくるに違いない。

「ホーッホッホッホッ! 絶対? 究極? それに強化ですって? ワタクシに勝ると本気で思っているなんて、なんて素敵な思い上がりでしょう! ならば海原サンに敬意を表して、とっておきの一撃でお応えいたしますわ。貴方の思い上がり、この拳で貫いて差し上げます!」

 案の定だった。しかしテティスの作戦が諸刃の剣である事に違いはない。
 キュアキュンティアの右拳が白色に輝き、光は徐々に増してゆく。間違いなく、キュアキュンティア最大の攻撃技が来る。キュアテティスは緊張しながら、その時を待った。

★  ★  ★

 その頃、春風ぽっぷは、生身のままで公園にたたずんでいた。だけど友の殺し合いを止められず、絶望に打ちひしがれていた少女はどこにもいなかった。少女は生き生きと目を輝かせ、二人のプリキュアの戦いに感激し、我を忘れていたのだ。

 玉木えりかは感情を爆発させ、キュアキュンティアに新たなフォームへと変身させた。それはプリキュアの新たなる可能性。えりかの怒りや憎悪に反応してあのような恐ろしい姿になってしまったが、はたして反応するのは怒りだけだろうか? 他の感情にも呼応して、別のフォームに変身する事が出来るのではないだろうか?
 そして海原くみこは、化け鯨カイトスを呼び出し自在に操った。それは初めて見る能力。プリキュアの未知なる可能性。あれは一体どんな能力なのだろう。キュアテティスだけの能力なのか、プリキュアの共通能力なのか…。

 プリキュアになって約2ヶ月。ぽっぷは神々との戦い以外でも、暇をみてはキュアクロリスに合体し、様々な可能性を模索した。プリキュアとしての能力の限界を見定めたつもりだった。それを、えりかとくみこが戦いを通し、目の前であっさり覆した。プリキュアには更なる可能性があるのだ。絶望している暇なんて無い。知りたい。知りたい。知りたい。人でありながら神の力を操る事が出来る、プリキュアの事をもっと知りたい。知的好奇心が、ぽっぷを激しく突き動かしていた。

「お待たせ、海原サン。約束通りのフルパワー。今すぐ貴方を焼き尽くして差し上げますわ」
「負けない……玉木さんなんかに、絶対負けないもん!」

 異常な発光状態に気づいたぽっぷはやっと我に返る。キュアキュンティアの右腕がまぶしく輝き、正視できない。それは正に太陽そのものであった。
 灼熱の矛と絶対零度の盾が、今、激突する。その結果……何が起きる? カイトスがスポルトキャノンを撃った時、氷の砲弾はキュアキュンティアに接触する前に、キュンティアの発する高熱に耐えられず、水蒸気爆発を起こした。あれと同じことが起きるとすれば………

 想像を絶する水蒸気爆発が閉鎖空間で発生する!?

「サンシャインッ! ブロウッ!!!!」

 キュアキュンティアの技を叫ぶ声が響いた直後、光が炸裂した。それは右腕に限界まで溜め込んだ灼熱の太陽エネルギーを、殴りつける事で対象に直接撃ち込み焼き尽くす、キュアキュンティアの究極技。『サンシャイン・ブロー』が絶対零度の城壁に触れた瞬間、熱を吸収しきれなかった氷の城壁は、一瞬で水蒸気に変わり膨張。水蒸気大爆発が発生した。

 静寂が戻った時、公園は原形をとどめていなかった。大地は灰色に支配され、閉鎖空間にいた動植物は全て焼き尽くされた。その廃墟の中に、ピンクの色をしたミノムシのような、マユのようなものが転がっていた。それはキュアクロリスの絶対防御壁『ゼピュロスの抱擁』。ぎりぎりのところでプリキュアに合体したぽっぷであった。『抱擁』を解き、キュアクロリスは一人立ち上がる。

「うおおおおっ! なんじゃこりゃー。一体何があったピュか!」
「いきなりクライマックスな状況でごめんねゼピュロス。話せば長くなるんだけど…。後で話す時間は十分とれると思うから、もう少し待ってて」
「お、おおっ 本当かピュ? わかったピュ! 少しくらいならいくらでも待つピュ!」

 キュアクロリスは絶対破れない閉鎖空間の壁を確認し、ほっと胸をなで下ろす。よかった。デュエルは終了していない。つまり、えりかもくみこもまだ生きているということ。クロリスは手を胸に当て、自分自身に言い聞かせる。

「大丈夫。大丈夫。きっと大丈夫。プリキュアにはきっと無限の可能性がある。
 みんなで一緒に帰る方法もきっとある。それを確かめるだけでも大忙し。絶望している暇なんて無いんだよ……」

「な、何を言ってるピュ? 呪文でも唱えてるピュか?」
「あはは、ごめんゼピュロス。私は大丈夫だから。それより今はえりかちゃん達を捜して。閉鎖空間に囚われた子が二人いるんだよ。力を貸して、ゼピュロス」

 しかし合体が解けているなら安心は出来ない。気を失っている二人は無防備なただの女の子。えりかが砂浜に埋まった時のように、窒息死してしまうかもしれない。急いで探さなくては。


Aパート完。引き続きBパートへ

Aパート S-0, S-1, S-2, S-3, S-4, S-5, S-6, S-7, S-8, S-9, S-10,

PRECURE SQUARE trio 

 
オモイドウ
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